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やりたくないことをやめれないのはどうしてなの
前回は「自分の人生で実現したい自分の願望」を書き出してみた。
自由に妄想することはとても楽しい。
隣の芝に大風呂敷を広げ放題である。
青い上に敷き放題。無責任で自由奔放。
その快楽に溺れて満足な豚と化した人を幾ばくも見てきたし、何なら私も満足な豚になりたい心地がしてきた。
話を元に戻そう。
今回は「絶対にやりたくないこと」を考えてみる。
これも自分が実現したいことを見つけ出すために有用なステップであるらしい。
さあ、豚の声を聞いてみよう。
ブヒブヒ。
納得できない行動(考え)を強制させられること
逃れることができない人混みに飲まれること
騒がしい場所でしゃべること
天狗になって信頼を失うこと
理不尽に時間を搾取すること/されること
人を騙して良い思いをすること
毎日毎日同じことを繰り返すこと
恩を仇で返すこと
行動しなかったことをあとで後悔すること
溺死すること
怖い人と時間や空間をともにすること
お酒を強要すること
無駄な時間を無駄に消費できなくなること
頭でっかちになること
お人好しで正義感が強い、それでいて束縛や停滞を嫌う行動派。
そんな豚がブヒブヒと鳴いている。仲間にしてあげよう。
考え出してすぐはなかなか浮かんでこなかったのだが、1つが浮かぶと連想ゲームのように思考が海馬を駆け巡った。
そしてその連想は13年ほど前にmixiに「きおくのβカロチン」というエッセーを記した全くどうでも良い記憶まで自分の意志とは関係なく引き出してくる。
諸君はご存知だろうか。
人間の頭の中には、これまた未知なる海が存在しているのだ。
それも、その海には馬がたくさん住んでいる。
私たちが見たり聞いたり思ったりしたことは知覚神経から海に流れこみ、彼らの好物である「きおくのにんじん」へと姿を変えるのだ。
何故こんなことを考えたのかは記憶の引き出しに鍵をかけて仕舞っておきたいし、そもそも誰も知りたくはないだろう。ただただ恥ずかしい。
過去の手痛い経験から学んだり、憧れを抱いた理想の姿を追いかけるあまり、このようなにんじんを生み出しては食べたり飾ったりしていたのである。
そして13年もののにんじんを現在の私の海馬が見つけてパクリと食らいついた格好である。
やはり変わっていないなと思うようで変わったなと思うような、なんだか懐かしい自分にばったり出会ったような心地がしている。
そんなこんなで、今回は「絶対にやりたくないこと」に思いを馳せた。
次回は「自分の置かれている状況」を考えてみたいと思う。
ではまた来週。ちゃん。