2020年1月20日(月)

勉強しようと思っていたときに、
親から「勉強しなさい」と叱られ、
「今からやる“つもり”だったのに!」と逆ギレしてしまった…。

子どものころにそんな経験がある方も多いと思うのですが、
昨日の朝礼にてお話しいただいた、
「すみません」や「ありがとう」という言葉が不足していることの背景は、
この“つもり”が原因だと思います。

自分にやる“つもり”があったから、
上長からの指摘を素直に受け入れられず、
謝罪や感謝よりも、自分の正当性を主張してしまう…。

●●副社長と■■のやりとりを見ていると、そのように感じてしまいます。

元 暮しの手帖 編集長の松浦弥太郎さんは、
仕事についての著書の中で、
「“つもり”禁止令」を出していると語っています。

どんなに本人に“つもり”があっても、
目に見える結果として現れていない以上は、弁解の余地がない
という理由です。

実際、
本人に“つもり”があるか否かに関わらず、
適切なタイミングで適切な手が打たれていないから上長が指摘するわけで、指摘の本質はタイミングです。

もちろん、指摘の仕方(言葉遣いなど)が
受け手の受け入れ方に与える影響も否定できませんが、
われわれ指摘をいただく立場の人間が、
まずは適切なタイミングで適切な手を打てていないことを認め、
恥じなければいけないのだと感じました。

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