次はあの子が望む番。強い子よ。今日がお誕生日なの。

『ジュンのための6つの小曲』古谷田奈月


38歳の誕生日を大鬱からの立ち戻りのさなかで迎える。

多少乗りこなせるようになったとは思っても、実際に大波の中に捕らわれてしまうと誤差の範囲内でしかない。

あ~もう仕事向いてないんだろうな、とか思うけれど、仕事をやっていなくたって鬱はやってくるだろうので、もうどうしようもない。

嫌なことがトリガーになるけれどそれが仕事とは限らないし、誰かに笑われた気がするとか、気圧が低いとか、自分とは全然関係ないRTされてきたツイートだったりするのでもう生きてる限り膾切りという感じなので逃げ場がないのだ。

去年あたりまでは、子どももまだ小さくてこいつを生かさなければ!!!という感じだったが、もう4歳にもなるとまぁなんやかんやでこいつは生きていくだろうとは思うのだけれど、もう愛着がべっとべとに湧いてしまって離れがたい。希死念慮は噴き出るが、実際に死のうと思う量は以前に比べてはるかに減っている。

身体は重いが、一緒に公園行こう、と誘われるとついふらふらとついていってしまう。うん、君が笑ってくれることがとてもうれしい。

僕が見て感じている重力3万倍のこの世界と、君がニコニコと笑ってえんえん泣いて跳んで跳ねて驚きの毎日を過ごす世界が同じものであるならば、僕も少しだけ君の眼を通して彩り豊かに過ごせるかもしれない、とそう思う。

ずーっと寝ている親でごめんね。一緒に跳んだり跳ねたりできなくてごめんね。元気になったらまた遊ぼうね。

寝る時に握ってくれる柔らかな手が、いつまでもそこにあればいいのに。

重くなった体をぷるぷるする上腕二頭筋で支えながら、あと何回抱っこできるのかと思っている。

悪い癖だ。

26歳で死ぬと思っていた。そのころに今の嫁と出会った。

次は38歳で死ぬと思っていた(干支一回りなので)。そうしたら娘がかわいくて死ねない。こんなに子どもを好きになるとは思っていなかったのに。

辛くて苦しくていやだけど、でもそれをもう少し我慢したいと思えている。

次は50歳で君は16歳になっていて、出会ったときの嫁さんと同じ年になっていて、嫁にまんま瓜二つの君だから、僕はそこにまた運命めいたものを読み取ってしまうけれど、でもその時もまた何か生きていようと思えるものがあるのだろう。

そうして人生は回っていく。もう仕方がないとあきらめて、俺はこういう人間だ!おれはこういう人間!と開き直っていくしかないんだろうなぁ、と綺麗に死ぬことも太く短く生きることもあきらめて、出てきたおなかと下がる心肺機能を気にして明日のためにちょっとだけ運動してサプリを飲んでみっともなく延命を図る。

若くて真っ白だったころの自分が笑い飛ばすだろう人生を、それでもなんとか大事なものを見つけながら大事だったものを手放しながら。

チョコレートケーキが大好きな君が、「誕生日にはショートケーキが似合うからね!」といってショーケースの前で悩んでいたのがとてもとても幸せな一瞬で。それは26歳で死んでいたら決して目にすることも想像することもできない幸福で。