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【小説】世界を満たす女の子たちの群れ

 今日も女の子の群れがぼくを追いかけてくる。血眼になって。

 こっそり家を出たはずだ。アパートの部屋の前には誰もいなかったはずだ。
 そもそもぼくはアパートの三階に住んでいて、そこは窓からもドアの面した外廊下からも見晴らしがすこぶるよく、確認したところ女の子たちは一人もいなかったのだ。なのにどうだろう。アパートの階段の一番下の段を降り、自転車にまたがった瞬間には一人目の女の子がいた。
 きゃあっ。甲高い悲鳴が上がった。いたわ、○○くんよ! 女の子は叫んだ。するとどうだろう。女の子が十人も二十人も集まってきて、収拾がつかなくなってきた。
 ○○くんだわ。かっこいい。すてき。今日も色が白くて。肌がきれいで。ああ、食べてしまいたいわ。女の子たちは口々にささやいた。ぼくのことを見ているのに、ぼくに話しかける人間は一人もいない。
 ぼくはそっと自転車を押して歩き出した。女の子たちはぼくを囲んだまま移動する。かわいい。見て、あの寝癖、わたしも真似したいわ。身長が低いのも魅力よね、少年っぽさっていうの? 女の子たちはこそこそとぼくについての感想を交換し合っている。

 女の子たちは皆それぞれの服装や容姿や声をしていて、ぼくに興味を持つのがおかしいようなモデル体型の美しい子だっている。
 黒ずくめのゴシックファッションの子もいれば、無造作なカジュアルファッションの子、フェミニンとかガーリーとかそんな感じの服装の子もいる。そしてその服装は端的に彼女たちの性格を表している。つまりそれぞれ個性がある。

 対してぼくはいたって普通の、いたって小市民的な男だ。背は少しだけ低く、成績も中の下、顔もそんなに立派ではなく、ひと月前までもてたことなどなかったのだ。

 ひと月前からこうなったのだ。何が起こったのか。ぼくにもよくわかっていないが、奴によると「モテ期」が到来しただけとのことだ。

 奴とは、ぼくが彼女ができないと嘆いていたときに出会った占い師だ。ぼくには彼女ができなかった。大学に入ってもできなかった。大学とは勉強するところであって彼女を作るところではないとマナミに諭されたがそれでもできないことはひどくコンプレックスに感じた。
 そこに奴が現れたのだ。

 占い師は朝方の飲み屋街の隅にいて、ぼくが酔って「彼女がほしいよー!」と泣きわめいて友人たちに見捨てられ、一人で地面で寝ているときに出会った。千円で占ったげる。占い師は言った。半ば強引に千円札は抜き取られた。

 あらまあ、明後日からすごいモテ期が到来するわよ。ほんとにすっごい。地球のオス――動物全部含めて――が享受するモテ期の八十パーセント分くらいのモテがやってくるわ。楽しみね。

 占い師は千円札を持って含み笑いで去っていった。ぼくは思い切りゲロを吐き、そのままよろよろと家路についた。
 その後も大学は相変わらずだった。ぼくは月並みな視点で経済学部の課題をこなし、月並みな人づき合いをし、彼女はいなかった。

 ところが、である。それから二日後の朝、ぼくが大学に行くと女の子たちが大勢おり、遠巻きにされて熱心に見つめられていた。
 この大学は共学だったはずだ。一体この女の子たちはどこから? そう思っていたが、同じゼミのマナミに訊くとよその大学や高校から集まっている、とのことだった。あまつさえ社会人までもが集まってきていると。
 あんたを見てるよ。すごいね。マナミはニンマリ笑った。

 ぼくが動くと人の群れは一緒に移動する。ぼくが笑うと女の子たちはざわめく。ぼくが学食で食べたメニューが女の子たちに注文されて売り切れになる……。
 最初は気分がよかった。女の子にもてるということは気分がいい。どうにかしたらこの中から彼女を作れるかもしれない。それも何人も!

 ぼくはトイレに行こうとした。女の子たちはついてくる。「ごめん、ついてこないでくれる?」おずおずと言うと、女の子たちはハッと息を呑み、さめざめと泣き出した。それも全員だ。
 「何で泣くの?」と訊くと、ごめんなさい……と返って来る。全員から。それでもトイレに入り、戻るとやはり女の子たちはいた。
 ひたすらぼくを見つめ、ぼくの一挙手一投足を見続けている。段々不気味になってきた。

 ゼミに行くと、マナミが、すごいね、モテモテだね、とからかってきた。「もう嫌になるよ」というと、彼女はハハハ、と豪快に笑い、まあモテ期を楽しむことだね、と言った。
 ぼくはため息をついた。「アイドルってこんな気持ちなのかなあ」とつぶやくと、マナミは生意気! とぼくを叩いて笑った。ぼくも笑い、ただマナミがぼくを叩いた手を左手で支えて動かさないのが気になって仕方がなかった。

 どこに行っても女の子たちの群れがぼくの世界を満たした。女の子たちはぼくの髪が直毛だと言って喜び、寝癖を真似した。かわいい、と評し、かっこいい、と称えた。
 女の子以外の人たちはどこに行ってしまったんだろう? そう思うが、よく見れば女の子の群れの向こう側に迷惑気な中年の男女や同年代以下の男たちが見えるのだった。ぼくはどうやら女の子たち以外とは今繋がれていないらしい。

 というか、ぼくは誰かと繋がれているのだろうか?

 女の子たちはぼくの世界を満たす。けれど、ぼくと繋がっている女の子はいない。ぼくと会話したり、心を交換し合っているような女の子は。ああ、いるじゃないか、とぼくは思う。マナミがいるじゃないか。

 女の子たちの真ん中、どうやらここはコーヒーショップの前らしいが、で立ち止まり、ぼくはマナミに電話をした。コール音。同時に鳴る、マナミの携帯電話の音。ああ、近くにいたのか――。
 そう思ったが、マナミはどうやらこの女の子の群れの中にいたらしく、おずおずと出てきて、あの勝気な飾り気のない顔に化粧をして、ぼくの前に立ち、――わたし○○のファンなんだ、この間から――と意味のわからないことを言う。
「ファン?」す、すごくかっこよくて。「マナミ、何言ってるんだ? おれとお前は友達で――」友達なんてとんでもない! 少し近いところで見守ってるだけでいいの……。
 ぼくは混乱してきた。マナミの目は女の子たち同様とろんとした、恋する女の子の目だ。マナミはすっと体を引いて、わたし、一ファンとして○○のこと見守ってるから……と群れの中に戻った。
 同時にマナミは均質化された「ぼくを囲む女の子たち」に溶け込み、どれがマナミなのかわからなくなった。

 ぼくは不安が強くなった。ぼくは女の子たちに好かれている。望み通りだ。モテ期。その通りだ。でも何だろう、この恐ろしさは?
 ぼくは走り出した。女の子たちは徐々にスピードを上げて走るぼくを、同じスピードで追いかけてくる。つかず離れず。
 わああああ。ぼくは叫んだ。怖い。女の子たちが怖い。街の人たちが見える。皆ぼくを迷惑そうに見ている。女の子たちはぼくをキラキラした目で追いかけてくる。ぼくは、孤独だ。

 気づけば飲み屋街にいた。まだ夕方の明るい街は、まだシャッターが下りている。
 路地裏に駆け込む。女の子の中でも運動神経のいい子たちが、すごい勢いでついてくる。
 壁を乗り越える。まだニ、三人が後ろにいる。第一ぼくは運動神経がいいほうではない。空き地に着いた――あの占い師がいた。

「助けて」ぼくは占い師に言った。「女の子たちに好かれて困るんです。助けて」
 ぼくは泣いていた。占い師は酒壜を抱いて車の横で寝ていた。あの日のぼくみたいだった。
 占い師はゆっくりと目を開ける。同時に別のルートから集まってきた女の子たちで道や空き地が埋まっていく。
 占い師はぼくを見た。そしてつぶらな瞳をぼくに向け、何てかっこいいの……とつぶやいた。
 女の子たちはぼくを囲み、憧れの目を輝かせ、徐々に距離を詰めてきている。

※小説家になろうに投稿した掌編集『まなこ閉じれば光』の中の一篇です。これから毎週水曜日に新作旧作合わせて千文字前後~三千字程度の作品を投稿していきます。よろしくお願いします。

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