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考える時間があるということだ。

今年に入って落ち着く時間が増えたため、余計なことを考えてしまう。
具体的に言うと、自分の死生観について、考え続けている。

ああ。私は、私の中にあるこの純然たる希死念慮を、丸ごと抱きしめ愛し続けながら生きていくしかないのだなと、改めて思い知らされた。

止められない思考の渦に、呑み込まれぬように必死で気を紛らわせてみる。
楽しいことを探して、夢中になれることを探して、なるべくして明るく振る舞うように心がけた。

気軽に、駅からの帰り道に、コンビニに寄るくらいの気持ちで、この生を投げ出したくなるのだ。
仕方ない、私は文豪気質だから。
なんて軽口を飛ばしたりして。

毎日が忙しくて、余計なこと考えられないくらいがきっと、ちょうど良いんだと思う。けれどもまた、この思考の渦に飲まれる時間も悪くないとも思う。

不用意な言葉で他人を不安にさせたくないのだけれど、漠然とした不安や日常生活の些細なストレスが、こういう形で出てくるのだと思う。
言葉にしてようやっと飲み込める気がするので、あえて、形にする。

考える時間があるから、迷えるのだ。
迷える時間はある意味で特権なのだ。
死を考えて生を実感する。
ありきたりな時間を過ごしている。

恐れているのか、焦がれているのか、そんなのどうだっていい。
今日も私は、私を生きた。
ただ、それだけだ。それだけのこと。

忙しさにかまけてお前のことを忘れていた私に、腹を立てているのだと想像してみたら、少し笑えてきた。

こんなにも言葉が巡るのは、考える時間があると言うことだ。
迷える時間があると言うことだ。

大人しく眠りにつから、お前も早く眠っておくれ。

もうじき雪も溶けるから。
もうじき夜を超えるから。

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