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育ち①
昭和の、ベビーブームが落ち着いた頃に、一卵性双生児(姉)として生を受けた。一卵性双生児(妹)は脳性麻痺の重度身障者。生まれながらの、きょうだい児。妹中心の生活の中で「手のかからない姉」として育つ。
昭和の日本。障がい児への理解も福祉も今のようには進んでいない時代。
両親は世間から妹を隠すように、ひっそりと暮らしていたように思う。ひっそりとはいえ、必死の介護と育児。母はいつも疲れていた。
私もそんな家族の空気を読んで、よい子でいることをいつのまにかに身につけていったのだろう。「寝かしつけしたことない」「抱っこしなくてもいつも静か」「2歳前にはひとりで本を読んでいた」ということが両親、とりわけ母にとっての自慢だった。
それらがすごく不自然なことだと気づいたのは、自分が子育てするようになってから。
静かな赤ちゃん?変でしょ。
夜中に何度も泣いて目覚め、抱っこされる孫を見て「そんなことしなくても転がしておいたらひとりで寝るようになるよ」とアドバイスしてくる母に猛烈に腹が立った。
子ども病院の中庭にある大きな石、妹の点滴待ち時間に父と食べるラーメン、時々遊びに連れて行ってくれる叔母と乗る電車、妹を抱いて買い物をしている間に乗せられるスーパーの前にある電動遊具。断片的だが記憶に残る景色が頭に浮かぶと、未だに何ともいえない寂しさがこみあげる。
大人になって、寂しかったことを打ち明けた私に「しかたなかったのよ」と母は言う。
私は、その言葉に、多分一生折り合えない。