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赤穂の塩土翁・シオヅツノオキナ
赤穂に来て、ずっとお会いしたいなと思っていた、日本一の塩所を守り続けておられる、赤穂化成の池上社長こと塩土翁にお会いできたので、記念に中沢新一の精霊の王に書かれている塩土翁のことを写しておく。
翁が作動させている「転換力」というものは、
いったいどんな成り立ちをしているのだろうか。
これを説明するのに。金春禅竹は神話の論理を利用する。翁の持つ転換力を「塩」のもつ浄化と転換の力によって、説明するのだ。じっさい塩は、渦潮のもつ浄化力を「煮詰めた」ところに出現するのであるから、「翁」存在にとっての住吉の神の重要性を考えれば、当然大きな意味を持つに違いない。じっさい「明宿集」もその冒頭の部分に、「翁」の示現形態の一つとして、塩釜の神を挙げている。
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海水から塩を煮詰めて取り出す釜が、霊威ある釜として、「翁」の垂迹の一つに呼び出されているのだ。この釜にも転換力がひそんでいる。そしてそこから取り出された塩は、あらゆる神事においてもっとも簡便で強力な清めの力をもつものとして、古くから大切に扱われてきた。金春禅竹はそこから思考を深めて「記紀」神話に示現した際の「翁」の活躍を、「塩土翁」(シオヅツノオキナ)のうちに見出そうとしている。よく知られている「海幸・山幸」をめぐる、阿多隼人族伝承の神話である。
その昔、天つ神七代の末、国つ神(地神)の四代目に当たられる火々出見尊(ホホデミノミコト)は山の幸の狩猟を得意としていたが、海の幸の捕獲に得意な兄の火進尊(ホノスソリノミコト)と、ある日狩場の交換を行なって、慣れない釣り糸を海に垂らしていらっしゃるときに、うっかりと釣り針を魚に食いちぎられて無くなってしまった。兄の尊はなくした釣り針を返せと、激しく弟の尊に攻めたので、どうすることもできずに海辺で悲しんでおられた。そのとき塩土翁が出現して、粗い目で編んだ大きな籠をつくって、それに乗せて、弟の尊を竜宮に送り申し上げた。そのときの塩土翁というのが、すなわちこの「翁」の神秘的な姿であった。((明宿集より))
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ここに登場する塩土翁という神話的な存在は、住吉の神の本体である底筒之男命・中筒之男命・表筒之男命の三柱と密接に繋がりがあると、言われてきたが、共に重要な海の産物である「ワカメ・アラメ」と「塩」の精霊であることからして、これは当然のことだろう。住吉の神はその浄化する能力によって抜群であった。塩土翁はさらに進んで、ものごとの状態に決定的な転換をもたらし、異質なもの同士を媒介して互いに結びつける作用に優れている。この為に両者は「翁」の妙身と見なすことができると金春禅竹は思考するのである。
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塩の持つ偉大な転換力が、この神話では重要な意味を与えている。衛生学的に見ても塩には浄化力があるが、ここに天と地を媒介し、海と陸とを媒介し、バランスを失った世界に調和の取れた全体性を取り戻す転換力が加わるのである。まさに塩は「浄めの王」と呼ぶべき物質なのだ。
その塩土翁が田楽と猿楽に演じられる「翁」なのである、と金春禅竹は思考した。
精霊の王より
赤穂は日本遺産認定を受けている塩の場所であり、浄めの場所、そして聖霊の王、翁が眠る場所。
赤穂 竹筒 塩 昔話
https://www.ako-minpo.jp/news/16494.html
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