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芸能に於けるシャーマニズムの解体 〜解体から構築へ〜
北辰
雲海の霧立つ千種川で
元道という山伏が釣りをしていると
2人の老人が現れて
こんな早朝に釣れますかと尋ねてきた
二尾ほど釣れ申したと鮎を見せると
旅の方ですかとまた質問をされ
山伏修行のため、経納山へ向かう
道中でございますと応える
2人の老人はそれは嬉しやと
顔を見合わせて舞いを始めた
1人の老人が静かに消えてゆき
1人の老人が和歌を歌い始めた
我はこの河の神 秦ノ王の生まれ変わり
三輪に生まれ 最後の地を播磨とした
秦河勝にて候
この河の成り立ちを
其方にお教えして進ぜようと申し
河勝と名乗る老人は 山伏に面を授ける
恐る恐る面で顔を覆うと
身体は面に委ねられ
和歌にして見える景色が舞となり
荒神様の御姿に
神をも恐れぬ御姿に
変じて北斗を舞台とし
北辰の妙を悟るなり
この地を定め固め行く
北辰妙見大菩薩
天之御中主の化身となりにける
↑
神楽の演目用に描いた「北辰」です。この短い演目の軸ですが、
これ描くのに長い年月が掛かりました。
秦河勝公には、1400年前の紐解きを芸能を持ってお返ししたいと思い、
神楽として私なりに描いてみました。
物語に出てくる経納山という山は、現在では三濃山という山で、秦河勝が妙音が鳴る笛を求めて、この三濃山に入るのですが、そこで大蛇と出会い、大蛇の首を斬ったというお話があります。そこには大避神社があり、河勝公を讃え供養する経本となる巻物が五束あると伺っていて、その経本が本当にあるのなら、演目の謡いに取り込んでみたいと
考えています。
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三濃山の大避神社は、山の頂上付近なので、今では人が暮らさなくなった場所にあります。その村で暮らしていたという二人のお爺様が、現在の三濃山・大避神社の掃除や整備をしておられます。この二人のお爺様と、坂越にある奥藤酒造での隠れ村より現れた、二人の翁との重なりから、私にとっては「二人の老人」という設定が、とても幽玄的な世界観に感じていて、時空を超える装置として物語に二人の老人(翁)を登場させています。もちろん陰陽の顔を持つ翁のという存在、能楽と狂言のそれぞれの役割を示すように登場する白翁と黒翁としても二人の老人がイコールであることを連想できるものにしたいと考えています。
能楽ですと、ワキ方に神様を憑依させないと思うのですが、仮面というものの持つ力をシンプルに表現する方法として、シテ方がワキ方に面を授けるようにしました。
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続く