構造の奥で鯰退治②
山姥は、山神の存在や山人の文化、山の怖さ豊かさをその存在を通して伝えている。お田植え祭などで、田に苗を植え付ける早乙女が、単に農作業と言うことだけでなく、「田の神様」をお迎えする農耕儀礼を行うのだが、ここでの田の神は収穫が終わると、再び山の神となり山の奥深くへと帰っていく。
この異質な変身の中に、生きている世界の違い、山と里の境界線が表されているように思う。山人と里人が境界線を守りながら、時には物々交換を通して交流もあり、その境界線に置かれた石は、塞の神・石井神・ミシャクジ「宿神」に当たる神は、互いの文化や生き方を守る上で重要な神であった。
(この辺りのお話しは、民俗学研究者の近藤夏織子さんの「マレビトの出る所へ」「八百万の神と和、そして前衛 ~美術と民俗の鳴動を伝う~」のアーカイブをみると更に深く面白いと思います。探してみて下さい)
奈良・宇陀市にある三住の稚児石も、地域と地域の、文化と文化の境目にあり、物々交換・婚約なども含め、争いを生まぬための交流があった。ここからほど近い、奈良の桜井の方では、山人と里人が交流する市があり、そこで折口信夫は「翁の発生」を山姥に見るのである。
クワキウトル族のゾノクワ神と、類似性のある山姥の舞が「翁の発生」に深い関わりがあり、その翁が、地震の神に対応する対称性の破れの中に存在しているということである。美しい美女の面から、黒く醜い面というのは、山の神である大山津見神の娘、コノハナサクヤヒメとイワナガヒメが表されていると推測されていて、美しい醜い、綺麗汚い、陰と陽という判別が山には無いということを伝えている。この山姥の舞が非二元論を表していることも面白い。そして能と狂言に見られる翁舞、白式尉と黒式尉との類似性をも見ることができるだろう。
この山姥の「翁の発生」という仮面の道から、後戸の神・翁へと転じ、妙見信仰・星信仰へ転じて行きたいと思う。今回、中沢新一さんの構造の奥から、物語を抜粋したが、この構造の論理を借りて、まだまだ私たちは旅を続けることができる。これはきっと中沢新一氏のアースダイブを読んだ時の感覚と似ている。
この構造の奥へ奥へと潜り込んで行くと、地震多発地帯で、生きてきた御先祖様たちが、地震というものに対して、どのような対応をされてきたのか見えてくるのでは無いかと、、、。そしてそこには、呪術猿楽が、後戸というキーワードの中で、静かに存在している。
この中沢新一さんの言葉の通り、構造の旅は奥へ奥へと続いて行く、次回では前回の終わりに図を載せ、紹介した「大甕(オオミカ)」から星の信仰へと話しを進め構造の奥を覗いて行きたいと思う。