ひとり暮らしへの憧れ
実家に帰ってきてはやくも一年が経ち、猫たちもこの家にずいぶんと慣れてきました。
筆者は家の近くで仕事を見つけて忙しく働く毎日ですが、最近、一人暮らしを懐かしさと共に想いを募らせております。どんな形であれ自分で自分自身の生活を作り上げることは筆者の喜びであり幸せであったものです。
自分で考えた好きな料理を作って食べ、自分の好きなモノで場を整えて、思い立つとどこかに出かける。日々身体のバイオリズムを感じながら生活することが筆者にとってどれほど大事なことか。
しかし現在、家族とはいえ共同生活の中では同居人の価値観や心のリズム、意識の違いから不調和が生まれ、どうも自分の行動が萎縮してしまう様に感じています。そこで、筆者なりに自己分析を試みたいと思います。
当たり前のことですが、日本という国に限らず一般的に例外をのぞくと誰しもこの世に生を受け、へその緒を切られてからまず出会うのは医者、次に両親であり、初めての社会が家族である。そして幼児教育の場を経て学校、そして会社となります。
なので誰しもがまず最初に経験する社会が家族ということです。人格形成と人間関係構築の重要な基礎がここで形作られるのです。ということは家族という社会での学びと振り返りはとても重要です。なぜなら私たちが人間関係に対し無意識に現れる心理的影響が家族社会にはあるからです。それはとても大きいと思います。
さて、筆者の場合。幼き頃より、素晴らしいと思うことを表現したり、これがしたい!と行動に移そうとすれば必ず立ちはだかるのが両親でした。常に否定的な立場で理不尽に怒られたり批判されてきた結果、自分のことは両親には知られたくない、行動に干渉されたくないので黙っていようと心を閉ざしてしまいました。それは両親にとって愛だったのだとしても、筆者にはとても辛かったのです。心に負った傷を完全に癒し切ることは未だできず、両親は常に暴君であり克服すべき権力なのだと定義して生きてきたが故、時を経て閉ざされた心の壁はますます堅固な城塞となり筆者を苦しめるのでした。
振り返ってみるとわかりますが、この様な無意識に形作られた筆者は社会に出てもガチガチの守りで人間関係を構築してきたのです。そうすると必然的に自然と孤立することになるのでした。
そしてこの様な無意識が働くために実家にいるのが苦しいのです。自分の手足を縛るのは自分が作り上げた無意識なのです。
しかしながら頭でわかってはいても克服することはとても難しいことなのですね。
筆者はまだ自由に暮らす夢を見るのです。静寂と自由、喜びに満ちた小部屋を夢見るのです。
決して両親を恨むのではないのです。年老いた母も幸せでいて欲しいのです。なので母親を置いて家を出ることに後ろめたさと罪悪感を覚えてしまう自分がいるのです。
今日はここまでにしたいと思います。
ただただ過ぎていく時間に茫然と追われ、疲労と眠気でぐったりと過ごす毎日。
いつかまた、自分の理想の生活をしたいと思う今日この頃です。