屋久島旅行回想録
筆者はなぜ、わかっていながら嵐の前夜に、台風の目に吸い寄せられる様に屋久島に行ったのか。
なぜ、日頃ちまちまと節約生活を送っていたにも関わらず大金を叩いてトレッキングギアを揃え、キャンプ道具も加えた18キロものバックパックを背負い、微かに痛む足を気にしながら出航するかどうかもわからない船を目当てに港を目指し旅立ったのか。
よくわからないので、帰宅後にずっと考えている。
自分のことでも自分ではよく分からないことがよくある。仕方がない。それは確かにそうなのだが、やはり何か納得する答えがほしいので答えを求めて自問自答の旅が始まる。
ことの始まりはなんて事ない降って湧いた様なイメージとアイデアだった。筆者はそんな有象無象のアイデアを蔑ろにして生きてきたことを後悔していたので、しばらく大事にこね回すことにした。そうすると少しずつ熱い情熱が湧き上がり、いつしか心の中でぼんやりしていたアイデアは確信に変わっていた。
そうだ!行かねば。
そうして計画を立てはじめる。こんな風にエスカレートしていったこの旅はまず第一にエモーションに火がついた瞬間から始まったのであった。
ではそのエモーションに火を灯したイメージとはなんだったのかを思い出したい。それは大体こんな感じだった。
ー美しい風景。この上なく素晴らしく美しい風景が見たい。一つの生命として、個体としてではなく全体としての一体感を感じたい。広大なる海と空。太古の森の鼓動、脈々と流れる滝の振動に共鳴する自我と我が身がその場の全てに溶けていく。そこには過去も未来も存在しない。ただ在る。そんな濃厚な体験がしたい。それが屋久島だった。
それは素晴らしく美しい体験のイメージであった。
結果はどうあれ筆者は夢中になってこのイメージを追いかけて旅に出たのだった。
つづく
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