31文字ずつ吐き出していく気持ちよさと心地よさとむず痒さ
最近、と言ってもほんの一週間前から始めたことですが、1日に1つ短歌を詠んでみています。どうして始めてみたくなったのかを、一週間前のことなのに覚えていないくらい曖昧な理由から「よし、詠んでみよう」となりました。まず初めに投稿したのはこの31文字。
朝起きていもむし昼寝してさなぎ
はねを広げて夜更かし夜更かし
朝が苦手だけど夜更かしは大好きな私にぴったりな短歌を詠んでみました。
それから、2つ目はこの31文字。
ニット帽、マフラー、手袋。
一つずつリュックにしまう。
温もりじわり。
ある時、友人たちが集まっているところへ途中参加した時のことです。この時期ですから、外は寒くて防寒具をフル装備して向かったわけですが、着くと暖房がしっかりと効いて外の寒さを忘れられるくらいポカポカしていました。加えて友人たちが「久しぶり」と声をかけてくれるのです。心と体に温もりがじわりじわりと広がっていく幸せを私は感じました。
という風に、感じたことを言葉にしています。感じたことを言葉にしていくと、どういうわけか次から次へと感情と言葉が湧いて出てくるのです。
夕暮れ時カーテンを閉めると左右のカーテンが寄り添いキスをしている様に見えたり、楽器屋にギターを預けた時に小学生の僕を毎日学童に送ってくれた父の背中を思い出したり、クリスマスは子供がプレゼントをもらう行事であることを思い出したり(21歳だとクリスマス=恋人と過ごす日という認識が強い)していきました。
これまでもそんなことを考えていたはずでした。けれどひとつたりとも覚えていません。私の頭の中に浮かび上がった感情は、海面に顔を出した泡のようにパチンと音を立てて膨大な大気と混ざりあい、膜に囲われていたはずの感情は他の感情と同様にカテゴライズされた感情になってしまっていました。
つまり、その時々に感じていたはずの詳細で繊細で柔らかくて堅苦しい思いは、時間が経つにつれて他の出来事で感じるような「嬉しい」とか「楽しい」とか「綺麗だ」とかの様な一辺倒な感情と同化してしまうのです。
最初のいもむしの短歌は単なる思いつきだったのでこんなことを考えていたわけではありません。ですが一つ詠んでみると、頭の奥で燻っていた行き場のない泡が上手くシャボン玉になってふわりふわりと大気中を漂い始めた感覚を抱いたのです。そうして思う様になります、この感情に名前をつけたいと。31文字を使って今感じたこの時間と空間に付箋を貼っつけておきたいと思い始めました。
そのため、31文字でたくさんの感情を詠もうと思いません。百人一首のように掛け言葉を駆使して素敵な短歌を詠むことも素敵ですが、歌の数が多くなってもいいのでひとつひとつ拾い上げていきたいと思っています。