僕が「魚屋」になった理由
「魚屋じゃないのね」と言われて、がっかりされることがある。
どうやら本当の魚屋さんは女の子にモテるらしい。
子供の頃の朝早くて重労働なイメージを引きずってしまっていた。
いまどきの魚屋さんはスマートなのだ。
何と言ったって高級な食材を扱っている。
ビジネスで成功している人も居る。
だからモテるのか?
ああ。でも僕には無理だ。魚をさばくのが苦手なのだ。
だから大好きだった魚釣りも辞めてしまった。
だけど僕は、長い間ペンネームを「魚屋」と名乗っている。
そこには明確な理由がある。
以前、魚住という男を主人公にした小説を書いた事があったからだ。
その「魚」という字が妙に気にいったのだ。
そして「サカナヤ」という響きが耳に心地よかった。
でもその小説は未完に終わった。
あと少しで完成、というところでパソコンがクラッシュしたのだ。
耐久性があると評判の高価なレッツノートを買ったのに。
色んな復旧方法を試みたけれど最終的にデータを復旧する業者にたどり着いた。
料金は十万円だった。
その金額をつきつけられた。喉元に鋭いナイフを突きつけらたように。
でも本当は別の物を突きつけられたんだと思う。
僕の作品に対する想い。
僕はそれまでだらだらと「この小説みたいなもの」を書いてきた。
期限もなく、目的もなく、ただ、だらだらと。
「完成したら、どこかに投稿してみようかな」というそんな気楽で甘い意志だった。
でも「いざ」という時、人は、判断を下さないといけない。
本当の気持ちを丸裸にさせられた。
結局僕は諦めた。小説は消滅した。
それ以来、僕はデーターをクラウドに保存するようになったけど、
それとは別に、小説を書く姿勢というものが少しだけ変わった気がする。
どんなに不格好でも最後まで書き上げた。
多少支離滅裂でも、とりあえずゴールまでこぎつけた。
推敲。
幾らでも書き直しというのが出来るのだ。
それは小説の良いところであり、建築の設計とは大きく違うところだ。
進歩と言うか変化はそれだけだ。
魚住の話は、どこへもいかなかった。
いつか書き直そうかなと思いつつ、随分、時間が経ってしまった。
そのあと、何篇かの小説を書き上げた。
魚住の話はすっかり情熱を失ってしまった。
あの時の熱量がどうしても取り戻す事ができなかったのだ。
僕はあの十万円を、今ならどうしただろうと思う。
あの時は大金だった。
今も大金だけど、今ならどうしただろう?
僕が今出す結論は、同じだ。
あの小説に十万円の価値も、情熱もなかった。
有ったのは、どこかほかの場所に行きたいという逃避だけだ。
あの頃の殺伐とした生活から少しでも遠くへ逃げていた。
それが魚住だ。
彼は小説の中で若く才能のある建築家だった。
その魚住を綺麗な女の子が支えていた。
やがて魚住は転落する。才能におごり、支えてくれていた女の子を裏切り、全てを失ってしまうのだ。
その復活の話でもあった。
最後まで復活せずに終わった、魚住。
僕はそれから「魚屋」になった。
魚はさばけないけど、早起きだ。
そして、未だに小説を書いている。
性懲りもなく。
多分、死ぬまで書き続けるんだろうと思う。
多くの人に読んでもらえなくてもいい。
誰かの心に、一人でも良いから、誰かの心に届けられれば、それでいい。
魚屋さんは、モテるらしい。
来世は、魚をさばける男になって、謳歌しようかな。
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