ふと、「お金儲け」について考えてみた。
ふと、「お金儲け」について考えてみた。
ふと、当たり前のように、「お金はあったらあっただけいいよなー」と頭をよぎったから。
お金があったら、何をしたいかなぁ。
好きな国に別荘を持てる。
行きたい時に行きたい場所へ、手段を選ばずに行ける。
財布を気にせず、好きなものを食べられる。
働かなくていい。
将来の心配がいらない。
ふむふむ。
私の欲なんてこんなものだ。
しかしなぁ。
いくらでも金がある状態で旅をして、果たして私は楽しめるだろうか。
どれだけ安い出費で世界を周れるか、ゲーム感覚で楽しんでいるところもあるからなぁ。
働かなくていいは魅力的だけど。そこまでになるには、なんか投資とかして黙っててもお金回るようになるってことだもんなぁ。その勉強と努力のほうが、今の仕事より確実に大変だわ。笑
将来は・・、そうね・・、安心に越したことないけど、結局いくらあっても不安はあるんじゃないかしらね。老後の心配をお金で解決できることもたくさんあるからある程度は残しておきたいけど、病気と死はお金じゃ避けられないからね。ある程度健康に気をつけて、なるべく定期検診に行こうかな!
仕事についてはどうだろう。
お金があったら、いくらでも好きな演劇が作れる。
金に糸目をつけずに上質なキャストやスタッフを雇える。
薄給でやりがい搾取されている仲間たちに割のいい仕事を提供できる。
元手があればできること、賭けられることも増えるなぁ。
でもそれで赤字を出すんだったら、やらない方がいいってことはないかい?
資本主義社会で儲ける最も重要なコスト削減は人件費のカットだろうけど、私の仕事は、ない予算の中でなんとか少しでもスタッフに還元するという仕事なので、儲けるとはかけ離れすぎているかもしれない。
あれ、考えてたら、話それてきた。
それるけど、書いてみる。
よく、お金のない演劇の現場で、「スポンサー見つけてこいよ」という言葉を耳にする。もちろんそれは大正解だと思うが、果たして演劇ってそういうものだろうか。
そういうのは、スポンサーをつけた大手企業主催のオーディションに通って出ればいいと思う。
「面白いと思うものを創る」「社会に訴えたいものを舞台にかける」場合は、泥水すすってでも創るもんじゃないかなぁ。エディンバラとカムデンでフリンジを観てきて、そこに出展している人たちの経済事情や、必死の宣伝などを見て、改めて思った。
フリンジは、「訴えたいものを創る」というよりは、「売れそうなものを創る、むしろスポンサーを見つける」という側面が強いので少し違うが。
小劇場での短期間の演劇など儲かるはずがないことは、客数とそれにかかる費用を少し計算すればわかるではないか。金のために出るのはナンセンスすぎる。「大手のオーディションに受からないから出る」という場所になりすぎている。
主催側にも大いに問題がある。
まず、つまらない、練られていない、訴えるものがない、そんな演劇を乱発している状態はもってのほかである。(この3つのうち2つ欠けたら意味不明)
金儲けになるわけでなく、手弁当とやりがいでしか雇うことしかできないキャストスタッフの力を大いに借りて、付き合いで観にきてくれるお客様のお金も頂戴しているのに、しょーもない演劇を世に出すなどと、一体なんの為にやっているのだ。
自分が信じて創ったものが最終的に駄作になってしまう場合はあるだろう。それは致し方ないが、全精力を傾けたのかということが問題だ。
少々攻撃的になってしまったが、
仕事のない役者が溢れていることも悲しい現実だ。
帝劇俳優でさえ、安泰ではないのだ。
競争することで磨かれるものもあるのだろうが、腐ってしまうものもある。
そして日本一大手の制作会社までも、やりがい搾取、殿様商売なのは、役者の士気を削ぐ最も悪質な問題だと思う。(ここでやっと資本主義)
話がそれたが、、
ファストファッションと激安チェーン店をはじめ、資本主義の恩恵で生きている私なので、資本主義者じゃないなんて言えないが、
弱小演劇業界という、資本主義とはだいぶ離れた業界にいるので、せっかくなら、金儲けをしない人生を歩んでみてもいいんじゃないかと思っている。