垂乳根のみい

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本当の気持ち

長く生きてきて、こびりついた垢のようなものが、 私の今の姿そのものでしょう。 本当の気持ちは、本当の姿をしなければわからないのではないかと、なので毎日お風呂に入ってみようと思います。 神社仏閣の参道の写真を見るだけで、懺悔しながら歩く自分が見えて泣きます。 お天道様、私の良心よ。 私の人生に、私を導きたまえ。

    • 要約しない生き方のススメ

      例えば本を読むことや、音楽、絵、といった芸術に触れてることで、実生活に学びを得るということが出来る人も沢山いて、そんな穏やかな生き方に憧れてしまいますが、私の場合はそうはいきませんでした。 様々な経験による高揚や傷心をもって人に対峙し、 またその人の高揚や傷心に触れる事で、自分の人生に気づきを見出し学びを得るという、凄くまわりくどいことをずっとしています。

      • アイコソ全て

        惜しみなく差し出した心がそのまま奪われて。 弄ばれ傷つけられ、いっこうに戻ってこない。 愛こそすべて。束縛の呪文。

        • 無限に広がってそうな世界の話

          随分前にいなくなったウチのネコの話を、 その頃は随分小さかった子から聞いた。 その頃には、その小さかった子と、 一緒に働くとは夢にも思わなかった。 夢にも思わなかった今が、 私の人生になった。 今では誰も住まない家に、もういなくなったネコや、 もういなくなった両親や、 いるけれど、会えない、その頃の私達がいた。

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        • ブタカタルシス
          6本
        • 漫画読書感想文
          0本
        • 未完読書感想文
          1本

        記事

          特別な日常の話

          毎日毎日、毎日というリズムに乗って、 あたかも区切りある人生を送っているような私たちですが、昨日は刺されなかった蚊に刺されたり、 今日は妙に寂しかったりという風に、 毎だの常だのというのが、まるで区切りなく果てしない人生を気づくまいとかけた自己暗示ではないか、と疑いたくなるほど。

          特別な日常の話

          【頑張れ】の極意

          元々人に対して「頑張れ」と言うことがあまりありません。 私にとって「頑張れ」と言う言葉には何処か寂しい響きがあるのでした。 それでもスポーツのシーンに、「頑張れ!」が飛び交うと、何か【じん】としてしまうのです。 もちろん寂しくて、ではありません。 それがどうしてなのか、考えてみました。 自分と誰か、誰かと誰か。 会話の中で「頑張れ」が出てくると興醒めしてしまうのです。 スポーツにおいて観客とプレイヤーは 恥ずかしい言い回ししかできないのだが ひとつ なのやな、き

          【頑張れ】の極意

          冬空

          空が灰色で、そう言えば冬だったのを気付く、 そんな暮らしを随分長いことしている。 生活とは生命活動の略なのに、生活のために仕事をすると言って、生命活動をおろそかにしていては本末転倒ではないか?と言った父親の声が聞こえる。

          誰でもないワタシの唄

          自分と同じ気持ちの人や、 自分と同じ条件の人を探す旅をしている。 共通や共有で気持ち良くなる。 そういう人が使うツールが人気なので、 それが良く目に入る。 多面的な自分の一面をそれぞれに共有しては、 遺伝子が重なりあったかのような安堵を得る。

          誰でもないワタシの唄

          生きるのだと、決めよう

          生まれたか産まれたか、 それぞれの感覚で人生はいつのまにか始まって、 それは当たり前より当たり前、 当然より当然。 あとは認識できないような何かによって、 そのまま。 生きるのだと決めねば、死に触れるより早く。

          生きるのだと、決めよう

          ハリガネムシの書

          生きるために得た苦しみの一切を手放せ 水辺でハリガネムシを手放す ハラビロかまきりのように 自分が求めるかのごとく キラキラひかる方へ向かう ハラビロかまきりは私達のようだ 意思も感情もないようなものが 奪った身体の末魔に ザリガニが手を伸ばそうとする時 それに抵抗するだけの私しかない そもそも私とはそれだけのものであることを知れ 苦しみに手を出すな 苦しみを手放せ

          ハリガネムシの書

          じゅげむ

          限りない限りない幸せとは あの山や海の砂利、また水、そこに住む魚たちが いつもそこにあることや、 水、雲、風がどこから来てどこにいくのかわからないこと。 食べ、寝て、暮らすところがあり、 あの力強くいきる植物や、 どこかの家系の長生きをみて、 己の限りを知ろうとしないこと。 限りない幸せとは、 己の限りを知ろうとしないこと。

          ヒツジのえをかいてくれない?

          正しいことをしたい、できることなら、なるべく。 清くありたい、もう手遅れかも、しれないけれど。 昔見たものを、また見るのが怖い。 これを知っていたはずなのにどうして、ああしてしまったのか、こうは出来なかったのかと、思ってしまう。 あれとこれが結びつかないのが、馬鹿。 私は、馬鹿なのだ。 リトルプリンス、あれをもう一度見たい。 公開当初映画館で、独り号泣した。 あれからずっと、見たいけれど見れない。 こうして書いているうちに、見ればいいものを、 私はそれが怖くて見ること

          ヒツジのえをかいてくれない?

          映画感想文【ロケットマン】

          掛け値なしの気持ちで、真剣に。 そうありたいと思うなら、そうなる。 天は自ら助く者を助く、とも言うように。 私達が個々に見る世界が、 ちょっとずつ噛み合わないのは、 その個々の欲求が、ちょっとずつ違うからだと思う。 そのような話を随分前にした時、 それなら、世界中の人々が幸せなはずではないか? なぜそうじゃないんだ? と問うてくれた人がいて、 掛け値なしの気持ちで、真剣に。 幸せになりたいと思う人は、そういないのだと気づかされた。 ついてなくて、不幸な、そんな

          映画感想文【ロケットマン】

          ちぇんじざわーるど

          世界が変わるのを見ている 生活が変わり価値観が変わり 二度とこれ以前にはもどらないのだと 誰もが知っている。 私はこの世界で生きて この世界で死んでいくので、 この世界がどのように変わろうとも この世界の中、その一部としてこの世界と共にある。

          ちぇんじざわーるど

          懺悔

          自分にとって都合の悪い人を悪人にするのが得意です。都合が悪いだけなのに、社会通念や道徳を引っ張り出して、世の中の悪のように表現することができます、息をするように、当たり前のように。 そのようなものを、悪魔と言うのではありませんか。 今日私は悪魔でした。 咳ひとつ窮屈な世界で、今なら言い訳し放題。 しかし、私とその人の交わるところに、 二度と日はさしません。

          オバケの話

          私は何かと何か、おそらく父母の何らかで出来た。 何らかはまた、その父母の何らかで出来ているから、私達はずっと父母の何らかなので、 私達は未だ死んだことがない。 お化けたちの事を話す時、【自分が死んだと気づいていないもの】のように表現することがあるけれど、 もしかしたら、【自分が死んだと思っているもの】こそが、死に囚われているオバケなのではなかろうか。 死に囚われるといえば、息をして鼓動を打つ我々のなかにも、オバケがたくさんいるといえる。 オバケは言葉も喋るし、常に恨めしい。