受胎告知はどこで起こった?【新約聖書を旅する】
【記事の概要】
・天使ガブリエルはナザレに住むマリアを訪れ、主イエスの妊娠を告知しました。その場所はマリアの実家付近です。
・マリアの実家とされる場所にカトリックの受胎告知教会があり、実家の遺構と伝わるものが残っています。この場所は、4世紀に聖ヘレナが特定したとされています。
・マリアが水を汲みに出た泉とされる場所に、ギリシャ正教の受胎告知教会があり、その泉が残されています。これは、新約聖書の外典「ヤコブ原福音書」による伝承です。
①受胎告知
前回は、天使ガブリエルによる洗礼者ヨハネ誕生の予告について扱いました。
今回は天使ガブリエルが処女マリアを訪れ、主イエスを産むことを予告した出来事(受胎告知)についてお話しします。
天使がマリアを訪れたのは、マリアのいとこであるエリザベトが洗礼者ヨハネを妊娠して6ヶ月目のことでした。
天使はマリアに「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる。」と告げます。
そして戸惑うマリアに天使は、聖霊がマリアに降り神の子と呼ばれる男の子をみごもることを告げ、イエスと名付けるように命じたのでした。
普通であれば受け入れることが困難なこの告知に対しマリアは、「(この身に)成りますように」と天使に答え、自らの運命を受け入れます。
この「成りますように」という言葉は、原語のギリシャ語では「γένοιτό」(ゲニトー)という言葉です。英語では「Let it be」、ラテン語では「Fiat」(フィアット)と訳されます。
カトリックにおいては、この「Fiat」という言葉は聖母マリアの神への従順さを示す言葉として重要視されています。
②ヨセフとマリアの地元、ナザレ
では受胎告知は、どこで行われたのでしょうか。
天使ガブリエルによるマリアの訪問は、ナザレで起こりました。ナザレとはどんな街なのでしょうか?
ナザレという街は、イスラエルの北部にあり、すぐ東にはガリラヤ湖があります。エルサレムからは車で2時間、歩きだと一日かかります。
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現在のナザレは人口約8万人。
実はナザレはイスラエルの「アラブの首都」(the Arab Capital)と呼ばれるほどアラブ人が多く、人口の99.8%がアラブ系です。街中の看板はヘブライ語よりもアラビア語の方が多いです。
ナザレの住民はほぼ全員がアラブ人ですが、全員がムスリムではありません。約3割がクリスチャンで、7割がムスリムです。
ナザレはやはりイエスの出身地であることから、歴史的にアラブ系クリスチャンが多い地域です。
余談ですが、ヘブライ語ではクリスチャンのことをノツリー(נוצרי)と言います。これは、ナザレ派という意味です。
これがナザレの地図です。少しスクロールすると、ナザレのすぐ右上にガリラヤ湖があることが分かると思います。
受胎告知に話を戻します。
この時、マリアはヨセフと婚約していますが、まだ嫁入り前であるため、当時の時代状況を考えると、マリアは実家住まいだと考えるのが自然でしょう。
従って、天使がマリアを訪れたのはマリアの実家またはその付近だと考えられます。
マリアの両親の名前は、聖書に書かれておらず不明です。しかし外典である「ヤコブ原福音書」の中で、マリアの父はヨアキム、母はアンナとされています。カトリックや正教会等においては、これらの伝承を受け入れています。
では、マリアが両親であるヨアキムとアンナと暮らす実家は、ナザレのどこなのか。
受胎告知が行われた具体的な場所としては、主に二つ伝承の地があります。
③マリアの実家: 受胎告知教会(Basilica of the Annunciation)
天使ガブリエルが訪れたマリアの実家。それがあったとされる場所に、受胎告知教会(Basilica of the Annunciation)という教会があります。
こちらがその場所です。
ストリートビューでも見てみましょう。
受胎告知は、英語でAnnunciationと言います。
ラテン語由来の言葉で、意味はアナウンスメント(announcement)と同じです。つまり「告知」という意味です。
どうしてこの場所が受胎告知のあった、マリアの実家とされているのか。それは、4世紀のローマ皇帝、コンスタンティヌス一世に遡ります。
高校で世界史を取られた方はご存知かもしれません。コンスタンティヌス一世は、ローマ皇帝として初めてのクリスチャンであり、313年に「ミラノ勅令」によってキリスト教を公認したとされています。
彼の母、聖ヘレナはキリスト教史において極めて重要な人物です。彼女はクリスチャン皇帝となった息子に影響されてか、65歳前後でキリスト教に改宗しました。
そして皇帝コンスタンティヌス一世は、自分の母である聖ヘレナを、キリスト教の調査のためパレスチナ地域へ送ります。
この時なんと聖ヘレナは80歳。
そんな老母をローマから離れたパレスチナへ調査させに行くとか、どうかしてるんじゃないか?と思いますね。
ともあれ、聖ヘレナはパレスチナへ赴きます。彼女は数々のキリスト教の聖地を比定し、教会を建て、整備します。
イエスの墓・復活の地として有名な聖墳墓教会や、イエスが生まれた地として名高いベツレヘムの降誕教会などは、聖ヘレナによって建てられたものです。
そしてマリアの実家であり、天使が受胎告知をした場所も聖ヘレナ達によって特定され、この受胎告知教会が建てられたと言われています。
教会の中には、マリアの実家の遺構であると信じられている洞窟があります。
なお4世紀当時、聖ヘレナが一体どうやって受胎告知の場所を特定したのかは伝わっていません。
余談ですが、この受胎告知教会には世界中から捧げられた聖母子像が飾られています。
その中には、日本のカトリック画家である長谷川路加(るか)の下絵による、和風のモザイク画「華の聖母子」もあります。
以上、聖ヘレナによって特定された場所、カトリックの受胎告知教会でした。
④マリアの水汲み場: ギリシャ正教の受胎告知教会(Greek Orthodox Church of the Annunciation)
天使がマリアを訪れた場所のもう一つの候補は、ギリシャ正教の受胎告知教会(Greek Orthodox Church of the Annunciation)です。
先ほどの、カトリックの受胎告知教会の目と鼻の先にあります。
ストリートビューも見て見ましょう。
この教会が建つのは、マリアの実家の場所ではありません。実家の近くの泉の上に立っています。
正教会の伝統によれば、マリアが水瓶を持って近くの泉へ水を汲みに出た際に、天使が訪れたのでした。
この伝承は、先ほどマリアの両親の名前(ヨアキムとアンナ)に触れた際に出て来た、「ヤコブ原福音書」の11章に由来します。
この伝承に基づいて、カトリックの受胎告知教会とおおよそ同じ時期である4世紀ごろに、この正教会の受胎告知教会も建てられたと言われています。
教会の最深部には、マリアが水を汲んでいた泉が存在し、今も水が流れています。
以上、マリアが水を汲んでいた泉の上に立つ、ギリシャ正教の受胎告知教会でした。
最後に、参考聖書箇所を引用して終わります。
また、ヤコブの原福音書に関心がある人のために、関係部分(11章)も引用しておきます。
次回は、マリアのエリザベト訪問を取り上げます。
⑤参考聖書箇所
ルカ福音書1:26-38
⑥参考外典(ヤコブ原福音書)
ヤコブ原福音書 11章
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