ヘブライ語で主の祈り
主の祈りは、キリスト教において最も有名な祈りです。
主の祈りと呼ばれる理由は、主イエス・キリストが自ら、私たちに与えた祈りだからです。
主の祈りは、マタイによる福音書(6:9-13)と、ルカによる福音書(11:2-4)の二つの福音書で記録されていますが、それぞれ少し違っています。
一般的にマタイの方が採用されるので、ここでもマタイに記載の主の祈りについて書きます。
イエスは弟子たちにこの主の祈りを何語で授けたのでしょうか。アラム語だったかもしれませんし、もしかするとヘブライ語だったかもしれません。しかし、新約聖書の原文はギリシャ語で書かれているので、今回紹介するものは近代にギリシャ語からヘブライ語へ翻訳したものです。
新約聖書のヘブライ語訳はいくつもありますが、今回はイスラエル聖書協会(The Bible Society in Israel、BSI)の翻訳を用います。(ただし、ニクード無しの表記で進めます。)
なお、この翻訳は聖書アプリYouVersionで
「תנ"ך וברית חדשה בתרגום מודני (תנ״ך ומודרני)
Copyright 2018 © All Rights Reserved
The Bible Society in Israel
Jerusalem, Israel.」
と記載があるものです。(下記リンク)
また、参考までに日本語訳と英語訳も併記しています。日本語訳は日本聖公会•カトリック共通口語文、英語訳は「Traditional Ecumenical Version」などと呼ばれるものです。
主の祈り
The Lord’s Prayer
תפילת האדון
「祈り」(תפילה)と「主」(אדון)の2つの名詞の連結語(スミフート)です。そのため、後ろの名詞(אדון)にのみ定冠詞(ה)がついています。
天におられるわたしたちの父よ、
Our Father, who art in heaven,
אבינו שבשמיים,
まず「אבינו」は、父(אב)に、接尾辞(私たちの、נו)がついた形で、「私たちの父」となります。
関係詞שに続き、「שמיים(天)にある」との意味です。
直訳:「私たちの父よ、天におられる、」
み名が聖とされますように。
hallowed be thy name;
יתקדש שמך,
「聖とされる」(to become sanctified)という意味のヒトパエル動詞、「להתקדש」の未来系•三人称男性単数(הוא)です。この動詞は「聖とする」(to sanctify)を表すピエル動詞、「לקדש」の受身に相当します。
また、「שמך」は名前(שם)に接尾辞(あなたの、ך)がついた形で、あなたの名前という意味になります。
直訳:「聖とされるように、あなたの名前よ」
み国が来ますように。
thy kingdom come,
תבוא מלכותך
王国(מלכות)に接尾辞(あなたの、ך)がついた形で、あなたの王国という意味です。
来るを表すパアル動詞「לבוא」の主語(三人称、男性単数)の未来系が「תבוא」です。
「来るように、あなたの王国よ」という意味です。
み心が行われますように
thy will be done
ייעשה רצונך
〜される(be done)を表すニフアル動詞「להיעשות」の未来系三人称単数男性です。
「ייעשה」(ye’ase)
なお「〜する」の「לעשות」の未来系三人称単数男性は、「יעשה」(ya’ase)なので、発音を区別しましょう。
また「רצונך」は、意思、願望を表す「רָצוֹן」に接尾辞(貴方、ך)がついた形です。
直訳:「行われるように、貴方の意思が」
天に(行われる)とおり地にも
on earth as it is in heaven.
כבשמיים כן בארץ.
前置詞「כמו」は英語のlikeやasに相当し、「〜ように」を意味します。また、「כן」は通常yesの意味ですが、「כמו」と一緒に用いると、「〜もまた」と英語のalsoの意味になります。くだけたヘブライ語では「גם」です。
直訳:「天であるように、また地にも」
わたしたちの日ごとの糧を今日もお与えください。
Give us this day our daily bread,
את לחם חוקנו תן לנו היום,
ヘブライ語では普通のことなのですが、動詞の目的語が動詞の先に来ています。読みやすい語順に直すと、「תן לנו את לחם חושני」です。
与えるのパアル動詞「לתת」です。これは語根が【נ-ת-ן】で、1番目と3番目の文字が活用を不規則にする「נ」となっています。
未来系三人称単数男性は、「תיתן」なのですが、ここでは命令形三人称単数男性の、「תן」になっています。
ここでの「糧」が面白い訳語になっています。
この「לחם חוק」は旧約聖書の箴言30:8で使われている表現です。(以下の引用を参照)
この「לחם」はパン、「חוק」は法なので、「לחם חוקは直訳すると、「法のパン」、「法に定められたパン」となります。
ここらから転じて、「人間が生きるのに十分な量の基本的な、生計の糧」という意味があります。まさに日毎の糧、daily breadを訳出するのに相応しい表現でしょう。
直訳:「生活になくてはならぬ糧(法のパン)を、私たちにください、今日。」
わたしたちの罪をおゆるしください。
and forgive our trespasses,
וסלח לנו על חטאינו
許すのパアル動詞「לסלוח」の、命令形三人称単数男性です。先ほどの「与えてください」が命令形だったためか、ここの「お許しください」も命令形になっています。
「罪」意味する「חטא」の複数形「חטאים」に、接尾辞(私たちの、נו)がついた形です。
直訳:「許してください、私たちを、私たちの罪について」
わたしたちも人をゆるします。
as we forgive those who trespass against us;
כפי שסולחים גם אנחנו לחוטאים לנו.
接続句「כפי ש」は英語のasと同様、「〜するように」という意味です。
ここでの主語は「אנחנו」(私たち)です。
動詞「סולחים」は、先ほども出てきたパアル動詞「לסלוח」の現在形複数形です。「לבלוח ל」で「〜を許す」という意味です。
では誰を許すのか、それがל以下の、「חוטאים לנו」です。「חוטאים」これは、先ほどの名詞「罪」に、関連する語で、「罪人」という意味の「חוטא」という名詞です。その複数形が「חוטאים」です。「לנו」が付き、「私たちへの罪人たち(私たちへ罪を犯した人)」という意味です。
直訳:「私たちも、私たちへの罪人たちを許すように」
わたしたちを誘惑におちいらせず、
and lead us not into tempation,
ואל תביאנו לידי ניסיון,
副詞の「אַל」は、その後に動詞の未来系を続けることで、「〜するな」という禁止を表します。
ここでは、「תביאנו」という未来形が続いています。
この「תביאנו」ですが、「連れて行く」を表すヒフイル動詞「להביא」の未来系三人称単数男性「תביא」です。
聖書ヘブライ語的な表現で「תביא」に目的語の「私たち」が接尾辞(נו)としてついて、「תביאנו」となっています。現代ヘブライ語では「תביא אותנו」となります。*1
また「לידי」は「〜の方へ」を表す前置詞です。
そして「ניסיון」は、経験や実験を意味する場合が多いですが、ここでは「試み」を意味します。
直訳:「私たちを試みの方へ連れて行かないでください。」
悪からお救いください。
but deliver is from evil.
כי אם חלצנו מן הרע
最初の「כי」は「なぜなら」、「אם」は「もし」という意味が一般的ですが、「כי אפ」と一緒に使うと、「いやむしろ」といった意味に用いることができます、
この「חלצנו」は、「救い出す」と言う意味のピエル動詞「לחלץ」の命令形ですが、聖書ヘブライ語的な表現を用いています。
神(単数男性)に対して「助けてください」という命令形であれば、「חַלֵּץ」という活用になります。
現代語であれば、「חלץ אותנו」となります。
しかし、先ほどの「תביאנו」同様、「私たちを」という目的語が接尾辞(נו)として動詞にくっつき、「חלצנו」となっています。
実は「חלצנו」(私たちを救ってください)という表現は旧約聖書にはありません。おそらく、詩篇140:2の「חלצני」(私を助け出してください)を念頭に訳したのではないかと思います。
最後に、改めて全文を載せます。
*1
「私たちを連れて行ってください」と言う意味の「תביאנו」ですが、旧約聖書には出てきません。
近い形で「彼を連れて行ってください」という活用形は出てきます。