キリスト教徒は旧約の律法にどう向き合うべきか①
本記事の要約
•旧約聖書には、ユダヤ教の伝統によれば613にものぼる、膨大な数の戒律が記されている。
•それら全ての戒律を守ることは不可能。キリスト教徒は戒律でなく、キリストへの信仰を通じて救われる。
•しかしキリスト教徒にとって、旧約の戒律全てを無視して良いわけでは無い。
•キリスト教では旧約聖書の戒律を、道徳律•祭儀律•司法律に3分類し、道徳律のみ守ることが求められている。
1.旧約聖書の613もの戒律
旧約聖書には、非常に多くの戒律があります。ユダヤ教では旧約聖書のことを「タナハ」と呼びますが、ユダヤ教の伝統では、旧約聖書には613の戒律があると考えられています。
ただ旧約聖書といっても、モーセ五書(①創世記、②出エジプト記、③レビ記、④民数記、⑤申命記)にのみ戒律が定められています。そのため、ユダヤ教ではモーセ五書のことを「律法(トーラー)」と呼びます。
やや脱線してしまいますが、613の戒律があると記した最古の記録は、3世紀のラビの教えを記したタルムードの以下の部分です。
それによると、613という数は、ユダヤ教数秘術(ゲマトリア)に由来します。
ヘブライ語のアルファベットは、それぞれ特定の数を意味しますが、律法はヘブライ語でトーラー(תורה)と言います。
ת(400) + ו(6) + ר(200) + ה(5) = 611
さらに611 + 2 =613
という計算です。
これら613の戒律には例えば、
第195戒「一緒に調理された肉と乳を食べてはならない。」(根拠聖句:出エジプト23:19)などがあります。
613という数はともあれ、旧約聖書には非常に多くの戒律があることがわかります。
2.戒律でなく、キリストへの信仰で救われる
しかし、このような膨大な戒律を完全に守ることは不可能です。これらの戒律を守らなければ救われないのであれば、人は誰も救われることはできません。このような状況から人々を救ってくださったのが、私たちの主イエス•キリストです。
人は誰でも戒律を守れない罪人ですが、キリストを信じることで救われるのです。(ローマ3:28)
人が戒律の遵守によってではなく、信仰によって救われます。では、キリスト教徒は戒律を守らなくてよいのでしょうか。とりわけ、旧約聖書にある戒律にどのように向き合えば良いのでしょうか。
3.キリスト教の旧約律法の三分類(道徳律•祭儀律•司法律)
ユダヤ教は旧約聖書の戒律を613にリストアップしました。またユダヤ教徒から見れば、十戒をはじめとするこれらの戒律は、イスラエルの民であるユダヤ教徒に与えられたものです。異教徒であり異邦人であるキリスト教徒に与えられたものではなく、キリスト教徒が守るべき戒律ではありません。
一方キリスト教では、旧約聖書も自分たちの聖典として受け入れています。しかし、旧約聖書の戒律についてはどのように考えたらよいのでしょうか。
(西方)キリスト教では、これら旧約の膨大な戒律を以下の3つに分ける考え方が一般的です。
道徳律(moral law)
祭儀律(ceremonial law)
司法律(judicial law)
まず、道徳律のみがキリスト教徒に適用されると考えます。この道徳律は、神から直接与えられた十戒に結晶しています。
次に、祭儀律は、本体であるキリストの贖罪のわざの予型(影)であったので、本体である基督が降臨した新約の時代には、廃止されました。(へブル10:1-9)
そして司法律は、古代イスラエル国家における法であるため、他の時代・他の地域の社会には(直接)適用されないと考えられています。
4.キリスト教徒は道徳律のみを守る
したがって、十戒に代表される道徳律のみが、キリスト教徒に適用されます。
ただし、十戒の第四戒である安息日戒「安息日(土曜日)を守れ」については、特殊な取り扱いがされています。
十戒と安息日戒については、次回以降取り上げたいと思います。
出典1
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