平穏
早いもので11月、
過ぎ去る時間の速さに圧倒されながら
少しずつ地に足つけて生活できるように
なってきたことを喜ばしく思う。
先週末は
小さい頃からの友人や
きょうだいや祖母と
気兼ねない時間を
過ごせたのもあって
すごく満ちたりた感じがある。
今年、いや去年から環境が
変化し続けて、多分この先も
どんどん変化に対応していかなければ
ならないんだろうけど、
今の私は次は何が来るんだ?
とちょっと余裕がある。
いや、衣食住安定すると全然違いますね。
あと睡眠。眠れるようになった。
本当すごい、奇跡みたい。
またいつ不眠に転がるか
わかんないけどできるだけ持続させたい。
そして近況というか、公募はふたつダメで、
まぁしゃーない、切り替えていこうという感じ。
そして自分専用の日記アプリをつけるようになったら
noteに何を書いたらいいんだ?と
ちょっと書くことに迷っているような感じです。
来年の文学フリマ京都の準備も本格的になってきました。
波乱万丈だった2024年も
なんとか落ち着いた感じで終わりそうだし。
終わりよければ全てよし、と言いたいところですが
また一か月と半分以上あるし、
引っ越して初めての冬で
どれくらい寒いのか、未知数だし。
本当は深く創作に熱量を傾けたいんだけれど、
ひとり暮らしになったこともあって体調面は慎重に、
バランスを取って書くときは書く。
今はインプットや、資料集めや、
あたまをからっぽにしたりすることで
無意識に考え続けるのを分散させて
なるべく休むようにしています。
それと最近、自分の中で
これが書きたいジャンルなのかなぁと
いうのがようやくわかりつつあって
エンタメでもミステリでもなく
幸福な純文学なのかなと思います。
純文学って悲壮だったり、悲惨だったり、
退廃的だったりしますけど、
必ずしもそうならなければいけない決まりは
ないんじゃないかな。
純度を突き詰めていければ、
できなくはないんじゃないかな。
それこそ芥川賞を受賞した
松永K三蔵さんのオモロイ純文運動みたいに。
たとえ不幸な結末だとしても読んでよかったなと
思えたらそれは幸福な読書体験ではないだろうか。
そんなことを考えている秋の日の夕方です。