取るに足らない些細な日常
最近日記アプリを始めた。
それはなぜかと言うとわざわざSNSに書くほどじゃないし、誰かに聞いてもらうと時間を取らせてしまったり心配かけるかなということや、本当にただの記録。何食べたとか、何思ったとかを残しておきたいなと思って。
こないだは花火をしたし、今はパリ五輪を観ている。でも記憶は一過性で時間が経つと薄れてしまう。二十代の頃のスマホを持つ前の写真はほとんど残ってない。色々あったのにね。
誰かと話すことでそんなことあったね、と昔話に花が咲くこともあるけれど、それは印象的なことを芋掘りみたいに記憶をひっぱって思い出したから。そしてもっといえば誰かと会話して化学反応するという必要がある。
もっと気軽にいつでも見返して、ふむふむあのときはこんなことがあったのだな、こんな景色を見ていたのだなという自分のための備忘録が欲しかったのだ。
紙の日記は普段からあまり使わずに毎年新しい手帳を買うので向いてないな、と思うのと、アプリは気軽なので私に合っていると思う。
SNSの複数アカウントを持つという器用なことも私にはあまり合わないのかなあ。
私はだらだらと散漫な文章を書くのは全然苦にならないし、だからと言って毎日書くと言うノルマを決める訳でもなく書きたいときに気が向けば好きなだけ書く。
意識しないことは自分でも気がつかないのかもしれないけれど、記録がたまっていけば、見返すうちに呼び起こされる記憶があるのかもしれない。日記は今日着ていく服を近くから鏡で見る感じで、後日それを着た写真を見返して手持ちのクローゼットを把握する感じ。そのまんまだけど。
あのときこんなのにハマってたのね、とか今この感覚はないなあとか、そういうことは勿論noteにも残していきたいと思っているけれど、役割的に小説未満、日記以上がnoteになるのかなあと思います。
ちなみに今日の日記的な記録は晩ごはんが夕方4時から始まったことです。夏は暑いけれど夏野菜が美味しいのは嬉しい。
とりあえずはそんな感じ。