VR-TRPGでの没入感とゲーム脳
「VR-TRPGシナリオライター」という言葉がn年後には一般化するだろう。
普通のTRPGシナリオライターと比較して何が違うのか。そりゃ「VR」が決定的な違いだが、執筆上でのVRへの向き合い方は二つあるように感じている。
一つがシナリオギミック。
シナリオの根幹に関わる事になり、通常のTRPGで回す事を基本的に想定しない。採用する事でゲームに近くなる。
もう一つが演出。
大きい・近い・多いなどを言葉ではなくVR空間で表現する事によってより高い実感を与えるのが良い例だと思う。
それに合わせてシナリオやマップ構成を調整するという向き合い方だ。
シナリオの根幹に関わる事は無く、普通のTRPGシナリオとしても回せる物になる。
どちらのスタンスをメインにするかは、VRで出来る事を主軸に物語を書くか、物語を主軸にワールドを作るかの違いだろう。
現状、弊サークルの作品はシナリオギミックとしてVRを使う事を避け、演出としてVRを活用しようとしている。
これは書いたシナリオのテーマ性が強いのもあるが、後述する懸念点が理由でもある。比率としては7:3位だが。
しかし、「VR-TRPG」を求めてくる人、「VRでしかできない」を求めている人は割とシナリオギミックとしてのアプローチを欲しているような…(物語にはあまり興味が無さそうな…)
ゲーム脳と没入感-神視点と主人公視点
シナリオギミックのアプローチでVR-TRPGを作る場合、机を囲んで三人称的に遊ぶ「TRPG寄り」のVR-TRPGよりも主人公の視点で冒険する「VR寄り」のVR-TRPGを採用する事になる。
更に、TRPGで行う処理はGMの能力を超えてはいけないので、シナリオギミックとして採用する場合は一文で収まるような物になる。
例としてはティンダロスの猟犬が分かりやすいだろうか。一度標的を定めると無限に追跡してきて、密室に隠れても部屋の中にある鋭角から出現してくるクトゥルフ神話の神話生物だ。
ここで考えているのは、「鋭角から出現する」というルールを理解した時にプレイヤーが「部屋に鋭角があるかを探す」ゲーム脳になり、神話生物の恐怖を忘れてしまうのではないかという事だ。
VRゲームの批評に必ず書いてあるような「没入感」。これがゲーム脳により固定化された三人称視点の中では失われてしまうのではないか。
実際、C94での「地下壕の讃美歌」は通常のTRPGシナリオでありながらゲーム的ギミックを採用していた。その結果、プレイが淡々とした処理になる問題が発生し、あまり楽しめていない印象だった。
勿論上手く調整すれば没入感をあまり失わずにそういったギミックを組み込む事ができる。ただ、それをやるにはシナリオ側に制約をかける必要がある。かけないと没入感が吹っ飛んでいくのでテキトーにこういったギミックを組み込むのはおすすめできない。
また、その為のVR-TRPGシナリオ執筆の手法も既にいくつかは持っているのだが、それはまだ秘密にして「地下壕の讃美歌VR」が完成したあたりで書こうと思う。
まあ今回の主張としてはとりあえずでゲーム的ギミックを組み込むのは危険であること、演出としての「VRらしさ」にも目を向けるべきであることだろうか。
終わりに
誰に向けて書いた記事なんですか?といった感じだが、サークル員やVR-TRPG関連で何か考え事をしている人・VR-TRPGを批評したい人に届けば良いのかなぁと思っている。自分の思考整理にもなった。
こういう事をサークル員と駄弁りながら一緒に考えたいのだが、オンライン環境もあって難しいというのが悲しい。
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