「DESERT TOWN」から見るZI:KILLの功績
しばらく前の話になるが、こんな質問を貰った。
ZI:KILLというバンドの良さがイマイチ伝わってきません。
何度か人生の中で聴くタイミングがやってくるのですが、そのたびに諦めてしまいます。(中略)
今一度、ZI:KILLの魅力を教えていただけないでしょうか。
結局はタイミング。
いくら理屈で良さを説かれたところで、音楽なんて環境とか心情とか、色々な要素が絡み合って"ハマる"ものだと思う。
何度か聴いてもピンとこないなら、無理に世間的な評価と自分の価値観を合わせなくてもいい。
V系を聴いている方であれば、お茶の間で評価されているJ-POPにピンとこないって経験はあるだろうし、それをヴィジュアル界のレジェンドだからという理由で感性を捻じ曲げる必要はないはず。
それができるんだったら、ヒット曲が大好きな体質に矯正したほうが圧倒的に生きやすくなるのだから、そうした方が良い。
なんて言ってみるけれど、これだけでは"逃げ"の回答。
真正面からZI:KILLの魅力を語ることにしよう。
僕にも、誰かの解説を読んで、制作背景や当時のシーンの流れを知ることで良さに気付いた、味わいを増したということはあった。
その"誰かの解説"になれれば、なんて仄かな期待を忍ばせつつ。
ZI:KILLの活動時期は、1987年~1994年。
解散時でも僕は10歳の頃なので、当然ながら後追いだ。
聴き出したきっかけはとても邪道で、大学生の頃に追いかけていたバンドがZI:KILLの「少年の詩」をライブでカヴァーしていたから。
哀愁に満ちたフォーキーなメロディと、内面的な痛みを抉り出すような歌詞。
これが10年も前の曲なのか、と衝撃を受けて手に取ったのが、彼らのメジャーデビュー作である「DESERT TOWN」であった。
まだ、表記がZi÷Killだった頃。
正直なところ、最初は「少年の詩」以外はピンとこなかった。
昔のCDだから音圧が弱いし、メロディも古臭く感じたからだ。
ただ、「少年の詩」だけはとにかく好きで、これを聴くためにCDは定期的に取り出していた。
本格的に"ピンときた"のは、V系シーンがラウド一辺倒になってきた時期に、改めてこの作品を聴き直したとき。
重低音を歪ませるサウンドに慣れ切っていたこともあって、ひとつひとつのフレーズが妙に新鮮に聴こえるし、歌謡曲的なものへの回帰願望が、彼らの本来持っていたメロディの良さと結びついた。
そのうえで、最後の一押しをしたのは、やはり歌詞だった。
ちょうど社会人になって、精神的に擦り減りはじめていたタイミング。
見た目は順風満帆なのだが、内面には悲哀を抱えているという彼らの楽曲の主人公たちに、10数年の時を経て、シンパシーを感じたのだ。
メンヘラ系が定着した昨今、病んでいるときに聴くバンドは必ずしも20年以上前に解散したバンドでなくてもいいのかもしれない。
だが、ヤンクロックが土台としてあり、最強で無敵であることがステータスになっていたシーンの中で、このネガティブさが心のよりどころになっていたリスナーも多いのだろうな。
そう想いを馳せてみると、彼らの魅力が浮き彫りになるのではなかろうか。
激しくも内向的な感性へのアプローチとしては、先駆者的なバンドなのである。
ちなみに、この作品は、それまでのイメージを覆すために、あえて暗い曲を多く配置しているのだとか。
デビュー作なのに、これほどの陰鬱な雰囲気。
総合的にインディーズ時代の「CLOSE DANCE」が評価されているのは納得できるのだが、TUSKさんの歌詞世界ともっともマッチしているのは、この「DESERT TOWN」であると思っている。
声色や発声法を巧みに変化させる表現の多様性や、ダレないようにタイトさをキープする楽器隊の貢献も含めて、時代を作ったバンドには、カリスマたり得る理由があるのだな、と改めて痛感した。
創作物とは、往々にしてそのときの社会情勢からの影響が大きいもので、異なる世代が聴いてもピンとこないのは、ある意味で自然なことだ。時代が変われば、音楽だって色褪せる。
それでも、僕には響くタイミングがあったし、多くの人に響く余地はまだまだ失っていないと信じたい。
これに共感できる社会って、そんなにいいものではないんだけどなっていうジレンマや背徳感もあるんだけれど。
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