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大好きなゲーム(STG・パズル・その他編)

ゲーマーとしての趣味をネットの大海にさらけ出し、
何かのタイミングで誰かとワイワイ盛り上がりたい!
好きなゲームを語り合うのは何よりも素晴らしいひとときだ!

というだけの感情から始めることになった不定期企画第7回です。
ただ思い出を語りたいだけなのでレビューチックな内容ではなく、
そのゲームにまつわる思い出をグダグダと書き連ねていく感じです。
今回で第一シリーズのコンシューマ編は終了となります。
(第二シリーズはPC18禁ゲームオンリーのアダルト展開になります)

あと、youtubeの『ゲーム夜話』が好きすぎるので、
紹介した好きなゲームの特集回があればリンクを貼るようにします!
ゲーマーの方なら見ていて飽きない素晴らしいチャンネルだと思います!

はじめに

第7回はSTG・パズル・その他編となります。
単純に今回は残ったジャンルのまとめという感じなのですが、
個別の作品で見ていくと超熱中したゲームが多数というラインナップ。
いやぁ、素晴らしいゲームは世の中に溢れてますな!!

★過去の回のおさらい★
第1回 RPG編
第2回 ギャルゲー編
第3回 ノベル・ADV編
第4回 SLG編
第5回 ボード・カード・クイズゲーム編
第6回 ACT・スポーツ・格ゲー編


①スペースハリアー2

セガ 1988年10月29日発売 MD

私のゲーム人生の中で最も「カッコ良い!」と思わされたゲームがこちら。一回りくらい歳の離れた従兄の家にあったのですが、本作はとにかく全てがカッコ良かった。一切日本語が出てこず、主人公のセリフも英語なので長らく戦斧と同様に海外のゲームだと思い込んでました。
それにしてもこのゲームが1988年に発売されているというのがマジで凄すぎます。超ハイセンスな音楽と効果音、特に各ステージのボスのデザイン、惹き込まれる世界観と抜群のゲーム性でゲーム史に残る名作と思うのですが、
いかんせん知名度が全く低いのはハードがメガドライブだったから以外に理由が思い付きません。SFCだったらF-ZEROくらいの評価だったのでは!?
1の方はシェンムーのゲーム内ゲーセンでプレイできましたし龍が如くでも同じように遊べるらしいのですが、なぜ2はまったく遊べないんだ!セガの内部でも世の中的にもエポックメイキングな1の方が評価が高いのかな?
1はシェンムーで初めて遊んだけど2の方が絶対凄いんだけどなぁ。
なお従兄の家で遊ぶ頻度はそれほど高くなかったので幼い頃はあまりプレイした記憶もないのですが、大学生の頃に諸事情でその家に3年ほど住むことになり引っ張り出して遊んでみたらメチャ自分が上手くて焦りました。ノーコンどころか1UPを繰り返しまくって大きく残基を増やしてクリアできてビックリ。というか常に止まらないようにぐるぐる動き回りながら撃ちまくってれば良いだけなので、やたらオシャレでカッコ良い見た目で勘違いしがちだけど実は難易度が低いのかも。本当に好きなゲームですが俺もハマってた!という人を現時点で見たことがないのが残念です。
そしてYoutubeでプレイ動画を見つけたのですが、ほぼ満場一致で1の方が良かった、2は多くの面でイマイチという意見のオンパレードで驚きました。ホントに~?2から目にしたという人がそもそも少ないのかもというのと、やっぱりセガユーザーはかなり目が肥えてる印象を受けました。FCとSFCしか見たことない状態でこれは凄かったけどなぁ。一番良いタイミングでこのゲームに触れたってことなのかもしれません。


②テトリス

BPS 1988年12月22日発売 FC

テレビゲームの歴代売上本数ランキングにおいて、様々なハードや発売元を合算した場合は人類史上ぶっちぎりの一位だと言われているのがこのテトリスです。ビデオゲームとしてのテトリスの歴史などについてはゲーム夜話の動画に詳しいので、少しでも興味のある方は是非こちらをご参照下さい。みんな大好き任天堂VSセガの攻防などにも絡んでいて、歴史のボタンが掛け違ってたら今の任天堂のポジションにセガがいたかも、なんて浪漫も感じる今のゲーム業界への影響も絶大な興味深いお話となります。
さて、テトリスと言えば私にとっては物心付いた頃には既に存在していたので、「トランプ」や「オセロ」みたいなレベルの超定番ゲームです。でも物心付いたタイミングはちょうど拡散期にあったようなので、自分はテトリス世代と言っても良いのかもしれません。やっぱり人類史上最も売れたビデオゲームだけあって、個人的に思い入れがあるものだけでも色んなバージョンがあります。Aボタンで落下&下ボタンで回転という謎過ぎる操作性センスを誇るこのFC版、ポケモンが発売されるまでの対戦ケーブルの使い道はテトリス一択だった気がするGB版、ゲーセンだけでなく温泉のゲームコーナーでの普及率は異常だったなぜか猿が遊び方を教えてくれるAC版、たまごっち大の大きさでいつでもテトリスが遊べるキーホルダー版など全てかなり遊んだ記憶があるのですが、効果音が素晴らしくレベルが上がった時の背景変更もカッコ良く、レベルアップ毎に落下速度が速くなるもののたまに見事なチェンジオブペースでゆっくりになったり、地面に付いてからも操作できるのが素敵なセガが開発したAC版、を抑えて最も印象に残っているのはFC版となります。ぱちぱちぱち~。
その理由はもうあまりのBGMの素晴らしさに尽きます。ロシア民謡アレンジなオープニング、トロイカ、カリンカも良かったのですが、もう圧倒的に「テクノトリス」という曲が好きでした。もうメチャクチャにカッコ良かったなぁ。YMOのライディーンを聴いた時レベルのカッコ良さを感じました。例によってFC版テトリスは従姉の家でしかほぼ遊んだことはないのですが、当時はどのBGMを流しても適当に歌詞を付けて3人で歌いながらプレイしてました。いや、確かFC版テトリスは1人プレイ専用だった気がするので、歌ってたのはプレイしてない2人だけですかね。
ちなみに、Twitterで『好きなゲーム音楽』みたいなタグに参加した時にテクノトリスの存在を四半世紀以上ぶりに思い出したことでテクノトリス愛が復活しました。今でもランニング中などに割と聴いています。(ランニングとの相性は特に良くないです)


③ワニワニパニック

ナムコ 1989年稼働開始 AC

皆さんワニワニパニックは好きですか?私は相対的に見て異様なレべルでワニワニパニックが好きです。もし日本人がみな私レベルでワニワニパニックが好きだったら、恐らく全ての駅の改札の脇にはワニワニパニックが完備されていることでしょう。そしてカニカニパニックだけでなくありとあらゆる生き物モチーフのはシリーズ作が作られていたはずです。
この私、デート中だろうが家族で遊園地に来てようがワニワニパニックを見掛けた際は列ができていない限り(そんなことはほとんどないですが)絶対にやるというマイルールを小学校の頃から守り続けて生きているからです。しかもベストを尽くしたいので、ジャケットなどだけでなく必ず上着は脱げるだけ脱いで薄着になりますし、持っている荷物は必ず同行者に預けます。書いていて気付いたのですが、今のところ仕事の移動中にお目に掛ったことがないことは結構なラッキーな気がします。
さて、私はルールはちゃんと守るタイプなので、2人以上の協力プレイや両手プレイは一切認めません。そもそも設置されているハンマー以外で叩くなんて論外だ!それでも大抵の状況において本日のハイスコアは更新できますし、「まいったスゴイ!!」以外を見た覚えもありません。そんなワニワニガチ勢、ワニワニオタな自分からの攻略法アドバイスをまとめます。
①必ず上着やジャケットは脱いでできるだけ身軽になる
②ネクタイや腕時計など論外。できればポケットも空にしておく
 イヤリングやピアスなんかも外しましょう
 ヒールの場合は脱いで裸足になった方が良さそう
③直ぐに反応できるよう半身になってテンポ良く体を小刻みに揺らして待つ
④ハンマーは根元を持ってスナップを利かせて小さく叩く
⑤まとめて叩こうとするのは噛みつかれるリスクが高まるので絶対NG
⑥とにかく集中して、少しでもワニが動いたと思ったらその瞬間に叩く
これであなたもワニワニ名人だ!!
ワニワニパニックは本気でやらなければ面白くないですし、本気でやるとかなり良い運動になり汗もかきます。2回連続プレイは無理なくらい消耗しますね。少年野球でキャッチャーをやっていた時や部活でバドミントンをやっていた頃は風呂場の水の抵抗で、高校で野球部の時は鉄アレイで手首を鍛えていましたが、あの時の努力の成果が今はワニワニで生きているんだなぁ。
ちなみに一時期たまに見かけたカニカニパニックは近年全く遭遇しませんしワニワニの2や3も見かけるのは稀です。どうして1ばかり長く君臨しているのか、興味が尽きませんね。ワニワニパニックRなるものが一昨年に出ているようですが、こちらもまだ未プレイです。早く遊んでみたいところ。


④ドクターマリオ

任天堂 1990年7月27日発売 FC

テトリス以降、ぷよぷよの大ヒットの間に生まれた任天堂の名作ゲームです。割と最近スマホ版がリリースされたので知名度は若い人にもそれなりにあるような気がします。なお、今調べてみたら2019年7月にサービスが始まって2021年11月には終了していたのですね。実はリリース当初は懐かしさでDLして多少遊んだのですが、特段続けようと思う要素はなく課金する人はいるのかな?と疑問に思っていたので納得です。残念ですが当時とは娯楽の選択肢の数も違えば消費速度も違うので仕方ないですね。課金系のアプリはメーカー側に維持費が掛かるので、採算取れないとなったらサービスが終わってしまい、後からプレイできなくなるのが痛いですね。私が課金系のアプリがあまり好きでない理由の一つです。
話はずれましたが、GB版もFC版も結構プレイしました。かなり流行っていたと思います。やはり当時の任天堂は「マリオ」というキャラクターを「活かそう」とするだけでなく、むしろ高品質なゲームをリリースすることで「より育てる」ということに成功したのが凄いよなぁ、と。任天堂+マリオということで当時の親世代の安心感を獲得したのもデカそうです。テトリスはロシアの数学者(謎に包まれている上に当時の宇宙開発技術はアメリカ並だったので超賢そう)が開発したという謳い文句だったのでパズルゲームは頭が良くなりそうというイメージ戦略もハマっていたような気がします。何人か持っている友達がいたのですが、どこも友達本人はあまり興味がなく、母親が好んで遊んでいたのが非常に印象的でした。当時はゲーム=子ども(およびダメなおっちゃん)のモノという認識だったので、おばちゃんがゲームをやっているということにとても驚いた記憶があります。特に松本君の母親のプレイングは神懸っていたなぁ。どう見ても家事の合間にやり込んでた。
本作はコンセプトやデザイン、ゲームシステムなどはどれもとても秀逸だと思うのですが、サウンド周りが素晴らしかったです。連鎖が決まった時の効果音も良いですし、何よりBGMが素晴らしい!FEVERもCHILLもどちらもパズルゲームのBGMとして今でも最高峰ではないかと思います。ゲームとしての完成度は後のぷよぷよの方がランダム性、スピード感、連鎖の爽快感などで軍配が上がるかと思いますが、BGMはこちらが上だろうなぁ、と。ちなみにこの大好きな本作の両曲を作曲した田中宏和さんは後に『めざせポケモンマスター』でダブルミリオン曲を生み出したり、任天堂関連の割と大きな会社の社長業をこなしたりと凄い方。どんどん知名度を上げている電通の田中宏和さんが始めた田中宏和運動にも参加されて田中宏和の歌も作曲されています。なんでこんな話をしたかというと、会社の先輩に田中宏和さんがいてこの活動に参加してるんですよ!この田中宏和さんが田中宏和の会で田中宏和さんに会ったそうで羨ましすぎる!俺のが絶対田中宏和さんに会いたいのに!(田中宏和ゲシュタルト崩壊)
ちなみに私の本名は確実に世界に一人しかいないレベルなので、会を発足してもぼっちです。悲しみ~。


⑤カービィのピンボール

任天堂 1993年11月27日発売 GB

基本的にゲームは上手くないのは何度も書いている通りなのですが、このゲームは確実に上手いです。というかここで取り上げるような好きすぎるゲーム⇒やり込む⇒上達するというだけのような気もしないでもありません。カンストしたという明確な記憶はないのですが、意図的に死ぬ以外に死ぬことはないレベルまで上達した記憶と、電池切れを何度も迎えるくらい数時間単位でプレイしていた記憶があるのでよほど桁数がおかしくなければ多分カンストはしたんだと思います。うん、したに違いない!普通にプレイしていて一番下まで落ちることはほぼないですし、落ちてもタイミング良くボタンを押すことで即復活しまくりでした。遊んだことのある人は分かると思いますが、復活するたびにゴンドラのような足場?がどんどん小さくなっていき復活しにくくなっていくのですが、タイミング押しは非常に得意なのでほぼエンドレスに復活できた記憶です。
本作は3つのステージがあって台は上中下の3パートで構成されているのですが、ある程度プレイした方は確実に両サイドの上部にカービィがいる台に落ち着くはずです。あのイカPKのヤツです!もうカービィのピンポールをプレイしている時間=イカPKを遊びたい&遊んでいる時間と同義です。デデデ大王?何それ知らねー、といった具合です。右側のフリッパーを立ててボールのカービィを完全に制止させる⇒タイミングを見計らって始動させる⇒左のデカカービィが☆を吐き出す瞬間を狙って一直線で打ち抜く。これを高確率で成功させられるかどうかが本作の上手い下手の分かれ目です。さて、無事に左のカービィが☆を出したら☆に乗ることでこのゲームの最大の醍醐味であるサッカーPKボーナスゲームに突入します。左右のフリッパーでひたすらゴールにカービィを打ち込む快感。プレイ時間を考えると人生で決めたシュートの本数は5ケタはくだらないはずです。
昔のゲームを思い出す際にはBGMの印象が非常に強いことに驚かされますが、本作のおかげでいかにゲームの効果音も大事かに気付かされます。PKボーナスゲームをひたすら遊ぶためだけに何時間でも遊べてしまう恐ろしい逸品なのですが、きっと効果音で脳内麻薬が作られまくっていたのかな、と。


⑥怒首領蜂

ケイブ 1997年3月稼働開始 AC

通っていた高校のすぐ近くに狭くて小汚い名前が付いていないようなゲーセンがありました。高校3年間は計画的に赤点を取り、常に留年を避けるギリギリのラインを攻める落ちこぼれ界の優等生だった私は、当然のようにそこに入り浸りました。そこは90年代に住宅街や繁華街のあちこちで目にしたタイプの維持費・固定費を抑えまくり系の小型店なので、導入コストやメンテの必要な特殊な筐体などは1つもなく、全て汎用的な筐体のゲーセン。格ゲーやら脱衣麻雀なんかはあったのですが、なるべく少ないお金で長く楽しみたい貧乏高校生が目を付けたのはこちらのシューティングでした。
怒首領蜂は(恐らく)弾幕系STGの先駆けとなる作品で、初見では誰もが圧倒されるほど敵の弾が多いです。かみかくしの夜に絵を付けてくれた「八度至」と苗字が菅原というだけな安直なあだ名過ぎる「ブンちゃん」と良く行きましたね。ブンちゃんのプレイを初めて見た時は衝撃で、まさに「なんじゃこりゃ」。確かノーコンで1周クリアできたくらいの腕前だったのですが、弾幕の具合が凄いこともあり異次元のゲーマーに見えました。
私はそこそこ遊んでいたものの、1面でもボムを割と使っちゃうくらい。確かノーコンで3面まで行けたら喜ぶレベルまでしか上達はしませんでした。2人同時プレイすると相手の動きで画面が引っ張られるせいで割とあっという間に死んじゃうのが懐かしいです。
ちなみに灰色の男子校から私大に進学してテニスサークルに入ったのですが、雨で練習が中止になってみんなでラウンドワンに行った際に怒首領蜂が置いてあったんですよ。ちょっとプレイしてみたところ、初見の一般大学生男女は当たり判定を理解していないので、自分程度の腕前に驚愕してました。が、残念ながらあの「ちょっと尊敬っぽい雰囲気」は一切醸し出されずにみんな一瞬で興味を失いクレーンゲームに集まってました。なんだか自分の知ってる世の中のルールとは違う世界なんだなぁとカルチャーショックを味わった大学一年のサカナくんでした。しばらくして店を出る流れになったのでプレイ中に席を立ち、仄暗い気持ちになったような記憶があります。


⑦ビートマニア

コナミ 1998年10月1日発売 PS版

今となっては一大ジャンルとなっている音ゲーですが、ビートマニアが完全なる音ゲーブームの火付け役であり始祖という認識でおります(あ、パラッパラッパーの方が先ですね!)。当時は自分がまだ子どもだったということもありますがそれだけでなく、Dragon AshだRIP SLYMEだKICK THE CAN CREWだはいましたが、まだDJ文化みたいなのの認知も一般的に進んでませんでしたし、ネットも発達していなかったのでDJ=ビートマニアみたいなことやってる人みたいな誤った認識が広がっていたような気がします。そういえば電車でGO!!も同じような状況でした。電車の運転あんな簡単じゃねーだろ、という。(自動運転のおかげで通常運行はもっと楽という噂も)
さて、ゲーセンでビートマニアが流行っていた頃はまだ格ゲーブーム真っ盛りで正直ほぼプレイしたこともなかったのですが、家庭用に移植されてミリオンヒットを記録したPS版は専用のコントローラーとともに自宅にも導入されました。こちらはゲーセンと違ってタダで遊べるので何度もプレイしました。現在に至るまで音ゲーは難化の一途を辿り、もはや一見さんお断り的なムードをひしひしと感じてしまうのですが、1作目は物珍しさもあってかなり広く一般に広がった印象です。難易度も今と比べたらかなりヌルゲーでした。私は目押しが割と得意なので大抵の曲はほぼGREATばかりでしたし、家庭用の1作目の最難曲(ska a go go)も何とかギリクリアできるレベルでした。ちなみに最後のラッシュは全く正しいリズムが分からないので、適当に押してやり過ごすコツを覚えたという程度です。ラッシュ後は大体ゲージはクリアギリギリという感じでした。
小学校時代にマリカーは上手くなりすぎて一般人とゲーマーのギャップをひしひしと感じたのですが(150CCキノコにクリアマーク付いてないとかマジで?みたいな)、ビートマニアでも似たようなことを感じました。友人の家に遊びに行ったらあったのでやってみたら、『町内一だよ!』とメチャクチャ驚かれました。自分はそこそこゲーセンに通っていたのでどんなゲームであってもガチゲーマーのレベル感は自分よりかなり上にあることを肌身で感じていたのですが、家にゲームがあってもゲームに熱中せずに腕前が初見くらいの小中学生男子が存在することにむしろこちらが驚きました。
ちなみに完全にビートマニアのパクリである『BM98』というネット黎明期のフリーソフトをご存じでしょうか。どう見ても著作権違反の塊でしかないのですが、様々なヒット曲でビートマニアが遊べたりネタ系動画が楽しめたりして、ニコニコ動画などが流行るかなり前のネット文化で隆盛を極めていました。メチャクチャ流行っていたはずなのですが今や全く耳にすることはないのはやはりそういうことなのでしょう。KONAMIの逸失利益は数十億円単位以上に上りそうなので、娯楽の対価はきちんと開発者に還元されないとだめだよなぁと思いますね。
なお、数年後にこれも流行ったダンスダンスレボリューションも我が家に導入され、兄だけでなく母も巻き込んでダンスならぬどう見てもマット踏みに精を出しましたね。実家が一軒家であの時は感謝でした。


⑧ニンジャアサルト

ナムコ 2000年稼働開始 AC

ゲームは総じて大して上手くないのですが、割と得意なのがガンシューティングです。とはいえ、ハウスオブザデッド、タイムクライシス、バーチャコップなどのヒット作は大して得意ではなく人並(かそれ以下)レベル。結構得意だったのはガンバレット、ガンバァールくらいでした。ですが、このニンジャアサルトに関しては胸を張って激ウマだったと言えます。他のゲームと比べて知名度はヤバいほど低そうですし、稼働時期も短かった印象です。
こちら、巣鴨のCARROTの地下に向かって店を入っていきなり正面付近の良い場所に置いてあり、受験の息抜きに巣鴨駅から帰る際に必ず1プレイだけ遊ぶのが日課でした。自分ルールはほぼ必ず守るタイプなので、「1プレイしか遊ばない」というルールを設定・遵守したおかげで上達したことは間違いなさそう。完全に敵の出現場所とタイミングを覚えきり、ライフ回復の場所も繰り返しプレイする中で覚えました。結果、安定してノーコンクリアできるようになりましたし、ノーダメクリアもしたことがあります!えっへん。ただ、今思うと他のゲームとの腕前の差が大きすぎるので単純に設定が甘かっただけなのかもしれません。
ちなみに今の今まで高校受験の息抜きだったと思い込んでいましたが、時期は合わないしよく考えたら中学生の頃は巣鴨駅は使っていませんでした。大学受験は大して勉強しませんでしたし塾にも通っていなかったので、単純に高校の学校帰りにゲーセンで遊んでただけのようです。受験の息抜きというのは後で記憶を改ざんして取って付けた正当化だったなんてビックリ!そして1プレイしばりだったのもただのけちだっただけかもしれません。もう昔のことで覚えてねぇっす!
そういえばガンシューティングって最近ゲーセンで見かけないですよね。傍から見るとかなり滑稽だということに世の中が気付いてしまったのか!?


⑨ドラゴントレジャー2

セガ 2004年7月稼働開始 AC

人生で一番面白かったゲームは何ですか?の回答になりうる可能性があるのが本作です。メダルゲームですし全く有名ではないと思うのですが、もうマジで面白過ぎました。RPGとメダルゲームどちらも触れている人は百発百中でハマるであろう超オモシロゲーです!うっかり死んだら全部パーになるお宝が眠るダンジョンモードとか無茶苦茶ハマったなぁ。
さて、本作を初めて目にしたのはデートで行ったジョイポリスの中のゲーセンでした。メダルゲームでRPGが遊べるというこの嬉しさと大量JACKPOTの時の豪華演出。これには一発で惚れました。ゲームの進行を記録するためのカードを購入し、デートよりも次のプレイをどこでしようかという気持ちでいっぱいでした。本作はスターホースやモンスターゲートなどと違って、確かカードさえあれば他の店舗でも継続プレイできた気がします。
さて、いくらバイトしまくってたとはいえ社会人と比べればド貧乏かつ時間だけは豊富にあった大学生の身。主戦場を決めるに当たってネットで設置店舗を探した上でメダルレートの良さそうな郊外のゲーセンに目を付けました。で、探し当てたお店がJR古淵駅近くのゲーセン。確か千円200枚で3千円で割引もあった気がします。当時住んでいた高円寺からは電車で揺られること1時間以上。スターホースの時は自転車で小竹向原に通っていたのでなんだか執念の度合いがマシマシです。そして何とそれだけメダルレートが良い上に明らかに設定が甘かったんですよこのゲーセン!ビックリなことにそこそこ上手くやれば全くメダルを減らさずにタダでいくらでも遊べてしまうのです!何回くらい通ったかは覚えていないのですが全部で10回くらいですかね。開店と同時に入店して5,6時間。一番ひどい時は少しカロリー補給に外に出た以外は終電ギリギリの閉店までいたこともあります。12時間以上のぶっ通しメダルゲームプレイ。パチンコ中毒と同じ状態でしたね。
激アマ設定のおかげでお金は交通費くらいしか減りませんが、時間のあまりのドロドロ溶けっぷりにある日決意してカードにはさみを入れました。いやぁ、石油王の息子だったら確実に機械ごと買ってましたね。今も遊べるところはあるのだろうか。意志の強さ?でなんとか離脱して勉学に励む大学生に復帰できましたが、あわやドラトレ廃人になるところでした。



⑩パズル&ドラゴンズ

ガンホー 2012年2月20日配信開始 スマホ

モンストに抜かれるまではNo.1スマホゲーの名を欲しいがままにしていた超有名作品です。圧倒的に他のゲームと比べて新しい作品となりますが、実はこのゲームは私が課金制のアプリで唯一課金してしまったゲームでもあり、時間をひたすら溶かされてしまった愛憎相半ばするゲームでもあります。
やたら流行っているという情報を耳にしてからも随分長く手を出さないで我慢していたのですが、福岡空港からの海外出張の待ち時間ができた際に、うっかり手元に読む本がなくなってしまったのが運の尽きでした。時期としては2012年の下期だったと思いますが既に5百万DL以上はされていた気がしますし、その後も毎月のように100万DLずつ増えていったような時期でした。DLして遊んでみるとそれまでのスマホゲーの印象(多分怪盗ロワイヤルみたいな印象?)とは大きく異なるゲーム性の高さとBGMや効果音、UIなどのレベルの高さに衝撃を受け、もうそこからはただハマるだけでした。
課金は多分合計で1~2万円くらいだと思うので社会人の趣味としては全く大したことのないレベルなのでどうでも良いのですが、時間の食われ方は尋常じゃなかった気がします。遊んでいた期間は討伐クエストみたいなやつも含めると毎日平均3時間くらいは遊んでいた気がします。ラフロイグとかあの辺のお酒コラボをやっていた時期はたまたま人生で珍しい欧米への出張が重なっていた頃だったのですが、出発直前に難易度の高いダンジョンに入って機内で数時間耐久プレイしたり、海外出張中も朝晩パズドラ三昧したり、散々でした。せっかくアメリカにいるのに仕事が終わったら真っすぐホテルに戻ってこもってパズドラ。最後は中国への単身赴任が決まったタイミングで「さすがにこれ以上はダメだ」とアンインストールして別れを告げましたが、感覚的には3時間×1年間≒1,000時間くらいは遊んでいたような気がします。もしかしたらもっとかも。
何が痛いってちょうどこの期間のうち半年くらいは国内で単身赴任していた時期と被ってるんですよ。これだけの自由時間があれば100万字くらいの超大作のシナリオを書き上げられたよなぁ(遊んでもらえるかは別)。
とはいえ、この時の強すぎる後悔のおかげでゲームに限らず時間の使い方をかなり意識するようになったので、身に染みて学ぶのが遅すぎたとはいえまぁ良かったのかな、とも思います。不思議とエロゲ全般、小説、ランニングなどは確実にそれ以上の時間を費やしているのですが、そこに対しては何となく糧になっている感があるので良いのです。パズドラも名作なのは間違いないのですが、いくらなんでも時間を使い過ぎたよなぁ、と。1,000時間あれば多分『修学旅行』くらいの規模のゲーム3つくらい作れるもんなぁ。


その他

ここまでで上げたゲームは特に思い入れや面白かった印象が強いゲームになります。ここまで挙げた以外に思い出深いゲームを以下羅列してみます。

【STG】
・沙羅曼蛇
・グラディウス(たぶん1)
・パロディウス(極上かな?)
・SUPER R-TYPE
・ツインビー
・ファンタジーゾーン
・斑鳩
・式神の城
・タイムクライシス
・The house of the dead
・ガンバレット、ガンバァール

【パズル】
・上海
・倉庫番
・クイックス
・コラムス
・ヨッシーのたまご
・ヨッシーのクッキー
・マリオのピクロス1・2
・パズルボブル
・ツヨシしっかりしなさい対戦ぱずるだま
・くるりんPA!
・ぷよぷよ通、SUN
・GUNPEI
・ことばのパズル もじぴったん
・ギャルズパニック
・ガーデンスケイプ

このジャンルは繰り返し飽きずに遊べることからハマると時間の溶け方が割と果てしない気がします。STGはインベーダーやゼビウスなどテレビゲーム黎明期の人気が物凄かったのですが、今は衰退ジャンルな気がします。ファミ通などでの「STG」表記は今も生きているのでしょうか?パズルは対戦で遊ぶのが熱いものやゲーセンでつい1プレイくらいしたくなっちゃうものが多めなので最近はご無沙汰です。

というわけで次回から新シリーズのエロゲ編を始めますが、
ちょっと長くなりそうなのでゲ制が落ち着くまでは少し時間空けます。


以上、富井サカナでした。
ちなみに以下のページからそんな私が作ったゲームがタダで遊べます!!
作成したのはドット絵全開のADVやサウンドノベルゲームとなります。
是非是非気が向いたら遊んでみてください!


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