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daraz
花がふってくる
「花がふってくると思う
花がふってくるとおもう
この てのひらにうけとろうとおもう」
(「花がふってくると思う」 八木重吉)
たった三行だけの詩。
「祝福」のようだなと思いました。
そしてそれを「うけとろうとおもう」というのがいいなぁと思います。
「いや、そんな」っていう謙遜でもなく、「私なんて」という卑下でもなく、素直に「うけとろうとおもう」。
あるがままの純粋さがうらやましいです。
「祝福」で思い出したのですが、内田樹さんの『困難な成熟』のなかに、
「言葉を交わし合い、愛を交わし合い、モノを交わし合うもの、それが人間です。」とあり、
「(交換(=交わし合うこと)は)何も価値あるものを生み出しているわけじゃないけど、なんとなく幸せな気持ちになる。それはボールが送られるごとに、「あなたがいてくれて、よかった」という祝福の言葉がそれに添えて送られてくるからです。」とあります。(ちょっと強引に文章を省略しています……)
人との「交換(=交わし合うこと)」や「キャッチボール」自体が、「祝福」なんですね。そんなこと考えたことありませんでしたが、でもだから、無視とか無関心がつらいのかもしれないなと思います。
精神的にしんどかった時、スーパーのレジの人がニコッとしてくれるだけで、涙が出そうでした。その時はなぜかわかりませんでしたが、もしかしたら、自分の存在を認めてもらえて、うれしかったのかもしれません。
とすると、いま私が笑顔でいたり、ちょっとした好意の態度をとることで、誰かを楽にすることができるかもしれない、なんて思います。……気負うつもりはないですけれど。
「花がふって」きたらうけとって、誰かに渡せたらいいですね。