敦賀市の神宮とムゼウムへ【福井県】
去年も行ってきました敦賀市。
何かしらすっかり気に入って今年も行ってきました。
無理なく行けるところは車で行ってます。
当方、兵庫県南西部住みで
中国道⇒若狭舞鶴道⇒北陸道の順での経路になります。
最近食べることのできるPAが減って来てますね‥
さて!
敦賀です。
ガッツリ下調べはしてなかったのですが敦賀でのミッション
気比神宮(けひじんぐう)へ行く
ミュージアムへ行く
ご当地回転寿司屋さんへ行く
ソースかつ丼を食べる
3と4はどちらか食べたら、一方は無理なので‥
調べによると比較的4のソースかつ丼は
Googleさんによると県内に大体どこでもありそうとのこと。
なので3のご当地回転寿司を優先することに。
敦賀市内に入りました。
地図を見ると西南部からのアクセスになるので
気比神宮→ミュージアム→お寿司の順が率良いルートと判断。
まずは気比神宮から。
駐車場が分からず一周したら鳥居の向かって左側だった。
反対車線からのアクセスでも交通量がそうでもないので
右曲がりからでも余裕で入れます。
鳥居の反対側にも駐車場があったけど入っていいのか悩んでヤメタ。
↑
と、去年の経験から今年は全然OKだった。
そして今回は裏側の駐車場に停めました。
境内が静かでゆったりとしていました。
パワースポットでもある格式高いこの気比神宮は
敦賀に来たら一度はお参りしたい場所でありました。
続いてミュージアムへ
ルートは途中、公園をワープしてますが
4~5分くらいで着きます。
【人道の港 敦賀ムゼウム】に到着
ムゼウムとはポーランド語で「資料館」という意味です。
つまりミュージアム。
museum(ミュージアム)はローマ字読みしたらムゼウムになりますね。
明治から昭和初期にかけて、敦賀港はシベリア鉄道を経由してヨーロッパ各都市と日本を結ぶ国際港としての役割を担いました。
国際港として発展した敦賀港は、1920年代にロシア革命の動乱によりシベリアで家族を失ったポーランド孤児が、1940年代には杉原千畝氏の発給した「命のビザ」を携えたユダヤ難民が上陸した日本で唯一の港であり、
当時のまちのひとたちが彼らを温かく迎え入れた「人道の港」としての歴史があります。
こういったことの資料館です。
去年(9月頃)はアンネの日記のアンネ・フランク展をやってました。
色々とじっくり見たり読んだりして感慨深いものがありました‥
しかし、
こしたこういった資料館で悲しい出来事を後世に伝えても
戦争は無くなりません。
それがまた悲しい事ですね。
続いて‥
下調べしていた福井ローカルチェーン店の回転寿司屋さんへ。
店舗の所在地までは調べてなく、来る時に偶然通りかかりました。
超満車状態でしたが、時間は16時過ぎ。
空いてる‥はず!!
到着したのは【海鮮アトム 敦賀若葉店】さん。
駐車場に車は数台。
店内へ入り、カウンターはガラガラでしたが受けをするルールだったのでカウンター・テーブル席どちらでもOKにチェック。
受付番号の書かれた紙を持って待つことに。
カウンターを見ると全席まったく片付けられてない。
やっぱ忙しかったんだ‥
と、すぐに呼ばれて6人席に1人案内されました。
なんか1人なのに広い席は悪いなぁ‥
まぁ、この時間だし2人以上の客はまだ来ないだろう。。
でも混んできたら迷惑になるので早めに切り上げようかなと。
おすすめメニューはご当地ならではで
地元瀬戸内海側ではあまり見られない『のどぐろ』とかが見えます。
サーモンもご当地増えたね~
石垣貝?知らない名前でした。
瀬戸内海側の人間なので日本海側の魚はホント疎いです。。
(魚歴36年目なんですけど‥)
調べてみると
別名:エゾイシカゲ貝とか白トリ貝と呼ばれているみたい。
初めて食べました。
日本海側はケンサキイカとか甲の無いイカが美味しいですね。
(この知識はあります!)
店についての賛否はあると思いますが
美味しくいただきました。
店員さんの愛想も普通に悪くなく居心地も良かったです。
何より、全国チェーン店より静かだとおもいます。
しかし訪れたところはホント全て良かった!
また来年も敦賀へ行けたらいいなと。
以上です。
いつもありがとうございます。
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