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ながら読書のすすめ

 我が家のトイレにはそれはそれは綺麗な女神様がいる。

 私は元来,「ながら○○」が癖であり,ただ食事をする,ただ風呂に入る,ただ運転する,といったことが苦手だ。もちろん,ただ大便を垂れ流す,といったことも。


 そんな大の大冒険のお供をしてくれるのが,トイレの女神様。壇蜜様である。
 彼女の日記の魅力をご紹介しよう。

壇蜜日記 (文春文庫)


 まず,1日あたりの日記が短文なので便秘気味の日も,快の日も,腸の調子に合わせて読み進めることができる。そこが,個人的にトイレの女神様と申し上げる要因である。内臓のコンディションに寄り添ってくれる,そんな優しさ。
 これが第3位の魅力。

 第2位。
 当然だが,短ければいいというものではない。内容があってこその厠の守り人。
 一部抜粋する。

 2014/1/5 晴れ
 休みだと言うと仕事がないのかと言われる。だから最近休みでも休みと言わない。だんだんと外を出歩かなくなったと言えば,頭がおかしくなったのではないかと言われる。この世界で人間をやっていると「ちょうどよい」という事はほとんどなく,人生の大半はちょうど良さを山の彼方のように探しながら折り合いをつけて生きてゆくのだろう。熱帯魚のエサの分量ですら毎日ちょうど良いを探すのが難しいのだ。そんなことを,散らばった水面のエサを見ながら思う。今日は少しばかりあげすぎた。

『壇蜜日記』より引用

 要するに,エサをあげすぎた,というだけの日記。そこから卑屈な精神性を拗らせる発想の飛ばし方が常人のそれではない。しかし,それが,先天的な卑屈さなのか,職業病的なものに由来するのかは定かではない。

 2014/2/22 晴れ
 ねこの日。大好きな「語呂と都合で生み出された日」。

『壇蜜日記』より引用

 しばし登場する,1行だけの日記。だが,それゆえに鋭いメッセージ性をもって突き刺さる。
 引き算の美学である。

 2014/2/28 一瞬春
 何故,かしこまって座る「ニュースステーション」の元キャスターの隣で,「いつものセクシーポーズ」をやらをとれというのか先ほどのカメラマン。いつものとは,一体いつの事を言っているのだろうか。私は場所も趣旨も関係なく谷間や尻を見せなくては価値がないのだろう。その人にとっては。価値の無いものを撮らせて申し訳ない。しかし,今回始まる番組では胸や尻を出さないのだ。ご理解もいただけずそれでも価値がないのなら、そのキャスターだけを切り抜いて使って欲しい。

『壇蜜日記』より引用

 ここでも卑屈さが顔を出す。彼女の日記には度々こうやって自己を貶める表現が見られる。
 しかし,この書を手にした者なら,少なからず彼女に何か光るものを見出してここにたどり着いているはずである。だからこそ,その度に彼女の弁護に走る。

「そんなことないよ。貴女は魅力的だよ」と。

 それが何を生むか。
「え?『壇蜜日記』!?」
 そういう周囲の偏見にさえ,強い意志をもって牙を剥き始める。そうして,世間から切り離されていく。否,世間を切り離してゆく。

 寂しくはない。
 だって壇蜜も戦っているのだから。
 一人じゃない。

そしてこれが最大の・・・


 さて,大の最中に『壇蜜日記』を手にする最大の価値とは。

 それはトイレという密室で,あられもない姿で,壇蜜と向き合うことなのである。


#読書の秋2022

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