ながら読書のすすめ
我が家のトイレにはそれはそれは綺麗な女神様がいる。
私は元来,「ながら○○」が癖であり,ただ食事をする,ただ風呂に入る,ただ運転する,といったことが苦手だ。もちろん,ただ大便を垂れ流す,といったことも。
そんな大の大冒険のお供をしてくれるのが,トイレの女神様。壇蜜様である。
彼女の日記の魅力をご紹介しよう。
壇蜜日記 (文春文庫)
まず,1日あたりの日記が短文なので便秘気味の日も,快の日も,腸の調子に合わせて読み進めることができる。そこが,個人的にトイレの女神様と申し上げる要因である。内臓のコンディションに寄り添ってくれる,そんな優しさ。
これが第3位の魅力。
第2位。
当然だが,短ければいいというものではない。内容があってこその厠の守り人。
一部抜粋する。
要するに,エサをあげすぎた,というだけの日記。そこから卑屈な精神性を拗らせる発想の飛ばし方が常人のそれではない。しかし,それが,先天的な卑屈さなのか,職業病的なものに由来するのかは定かではない。
しばし登場する,1行だけの日記。だが,それゆえに鋭いメッセージ性をもって突き刺さる。
引き算の美学である。
ここでも卑屈さが顔を出す。彼女の日記には度々こうやって自己を貶める表現が見られる。
しかし,この書を手にした者なら,少なからず彼女に何か光るものを見出してここにたどり着いているはずである。だからこそ,その度に彼女の弁護に走る。
「そんなことないよ。貴女は魅力的だよ」と。
それが何を生むか。
「え?『壇蜜日記』!?」
そういう周囲の偏見にさえ,強い意志をもって牙を剥き始める。そうして,世間から切り離されていく。否,世間を切り離してゆく。
寂しくはない。
だって壇蜜も戦っているのだから。
一人じゃない。
そしてこれが最大の・・・
さて,大の最中に『壇蜜日記』を手にする最大の価値とは。
それはトイレという密室で,あられもない姿で,壇蜜と向き合うことなのである。