歩いて分割日本一周 Part 5-3 東京〜京都(東海道)3/3
はじめに
2024年のGWを利用して東海道を歩きました。9泊10日と非常に長いため、記事を3つに分けています。こちらの記事は後編で、7~10日目を紹介していきます!
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7日目 2024/05/03 豊川~名古屋
愛知をグッと横切ります。
朝は6:00頃にスタート!今日も天気が良さそうですね。
まずは3 kmほど歩いて東海道に復帰します。結構長い。
この日から休日ですので、コンビニは朝早くから家族連れで賑わっていました。いいね。
近くの横断歩道まで迂回して、再度東海道に戻ってきます。キーーー!!!
この辺はのどかな景色が連続していて、歩いていて気持ちが良かったですね。
スタートから1時間半ほど、姫街道の標識が現れました。
姫街道は、見付宿と御油宿を結ぶ東海道の迂回路で、浜名湖が通れない時とかによく使われたそうです。こちらは御油宿側の追分ということですね。
さらに北西の方へ進みます。
松並木から10分ほどで赤坂宿に突入します。
御油と赤坂、近過ぎる!なんでもその距離は1.7 kmほどしかないようです。なんでこんなに近いのかまでは、調べてもあんま出てこなかったな〜。
御油・赤坂は当時めちゃくちゃ盛り上がっていたようですが、今では閑静で落ち着いた雰囲気を見せています。
さらに20分ほど進むと、岡崎市に突入します!
このあたりは本宿といって、赤坂と藤川の間に設けられた間の宿となっています。
ここからは国道1号線のとなりの道をひたすら進んでいきます。
国一の左右を行ったり来たり……。のどかな風景とともに進んでいきます。
本宿から1時間ほど歩くと、藤川宿に到着します。
さらに10分ほど進むと、今度は松並木が現れます。
この日ってシンプルにめちゃくちゃ暑かったので、木陰を作ってくれる並木道がすごくありがたかったです。
一里塚にはよく榎が植えられています。なんで榎なのか、という理由については諸説ありますが、「ええ木(良い木)を植えとけ」というのを聞き間違えて榎を植えた、という説をよく聞きますね。
一里塚から20分ほど、岡崎の市街に近づいてきます。このあたりには岡崎城があり、例によって道がカクカクしているのですが、他のお城とはレベルが違います。
二十七!?!?他は大体多くても七曲がりとかなので、本当に多すぎる……。上の写真のような標識もたくさん出てて楽しかったです。ただこの日って本当に暑くて、やや気をやられていました。
岡崎宿を抜け、今度は矢作川を渡ります。
さらに進んで、時刻は13:00を少し回ったくらい。気温がどんどん上がり、直射日光にずっと当たってるのもあり、本当に苦しくなってました。
昔の旅人も一里塚で休憩してた訳だし、僕も少し休憩することにしました。
実は今日、少しペースを上げていました。太ももやふくらはぎへのダメージが少なかったため、そっちに負荷をかけて、歩く時間を短くすることで足裏へのダメージを減らそうという作戦です。一応、ややペースを上げることに成功し、途中10分/kmを切るくらいの速度で歩けてはいたものの、結局バテてしまいましたね。振り返ると、この休憩込みのトータルではいつもと変わらないくらいのペースとなりました。ちなみに、足裏は普通に痛いです。
20分ほど休憩して、再出発です。知立市に入ったところらへんで、松並木が現れます。
旧東海道は現代の主要道路とは異なるので、市境の看板が見られないことも結構ありましたね。この時も気づいたら知立市に入っていました。
さて、知立市には池鯉鮒宿があり、どちらも「ちりゅう」と読みます。いや、知立はともかく池鯉鮒は絶対読めないって。由来としては色々説があるものの、池に鯉や鮒がたくさんいた、という点は共通しています。そのまんま過ぎる。
この日は何やらお祭りをやっていたようで、地元の人々で賑わっていました。
本陣跡から10分ほど、逢妻川を渡ります。
刈谷市に突入して1時間ほど歩くと、神秘的な一里塚がありました。
奥には榎をらしき木が見えます。
さらに名鉄沿いを進むこと50分、有松駅の近くにやってきます。
この辺もかなり風情がある街並みで、観光名所になっているようです。日もだいぶ落ちて17:00過ぎ、またまた夕暮れ時のいい感じの時間帯いい感じの街を観光できました。
有松は宿場町ではないのですが、かなりオススメの場所です。名鉄通ってるし多分アクセスもいいよね?(本数とかは調べてない)
すぐそばには鳴海宿があります。
有松が結構盛り上がってたので、その隣の鳴海宿も色々あるかな〜と思ったのですが、本陣跡すら見つけられず……ちょっと残念でした。
鳴海宿を過ぎると、時間は18:00頃。日もだいぶ落ちて、歩きやすくなってきました。
段々と名古屋市街の方へ近づいていきます。街並みにも都会感が出てきました。
19:30頃、宮宿に到着。本日最後の宿場町です。
宮宿から次の桑名宿までは、七里の渡しといって舟で行き来していました。海辺には七里の渡し感がある建物があります。
今日の東海道はこの辺で終了。宿へ向かうために街道を外れます。
そこから30分ほど、本日の宿に到着です。いや、東海道を外れての30分ってめちゃくちゃ長く感じる。
途中で、この近くに住んでいる友達から連絡があり、コンビニで落ち合ってくれることになりました。
正直今日ってめちゃくちゃ暑かったし、なんかペース上げちゃったし、シンプルに距離も70 km超えてるし、この旅の中で一番キツかったです。なぜか、浜松の大雨よりも全然キツかった。そんな中で友達と会えることになったのは本当に嬉しかったです。コンビニのホットスナックを奢ってもらいました。
少し話して、宿まで一緒に歩いて解散しました。
も〜〜シンプルに疲労!お風呂入ってご飯食べて即爆睡でした。
8日目 2024/05/04 名古屋~四日市
名古屋を越えて三重県に突入!西へ行った後南下していきます。
この日も6:00くらいにスタート。またまた30分かけて東海道に戻るところから始めます。
なんと、今日はこちらの交差点で友達と待ち合わせしています!
5/1に、この後どこ歩くの〜って予定を聞かれたので、夕飯でも一緒に食べてくれるのかな〜と思ったら、一緒に歩くと言ってくれました。疲労やメンタルダメージがピークであったこのタイミングで一緒に歩いてくれるの、本当にありがとう。
さて、交差点から15分ほど進むと、七里の渡し付近に戻ってきます。
そこから、昨日歩いた道をさらに遡ります。
先述した通り、東海道ではここ宮宿から次の桑名宿まで舟で移動します。しかし、徒歩旅で乗り物に乗る訳にもいきません。そこで今日は、当時から迂回路として使われていた佐屋街道を歩くことにしました!
佐屋街道ってまあ東海道ではなサブの街道なので、そんなに盛り上がってないかな〜って思ってたんですけど、結構色々残っていました。
橋を渡って1時間歩くと、万場宿に到着します。佐屋街道も街道なので、ちゃんと宿場町があります。
方角としては西へと進んでいきます。
住宅街をくねくねと進んでいきます。やがて大治町に突入。
このあたりは、神守という宿場町みたいです。
川を渡って10分歩くと、つしま大王みちとの追分に到着します。
30分ほど進むと、名鉄津島線の線路に行き当たりました。
1時間ほど歩き、弥富市に突入です!
弥富って実は名古屋からまっすぐ西に進めば着くような場所なんですよね。けど佐屋街道は北側を大回りする道なので、めちゃくちゃ遠回りしたことになります。友達は発狂してました。
お昼も回って暑くなってきたことだし、そろそろご飯を食べたいな〜というところで、すき家が現れました!
友達が調べてくれましたが、唐揚げは店舗によってあったりなかったりするらしいです。残念。
お昼ご飯を食べて元気回復!と言いたいところですが、友達は足の疲労に苦しんでいました。まあもう6時間以上歩いてるし、大きめの休憩をしちゃうと足が固まっちゃうんですよね。足をほぐしながら歩いて、徐々にペースを上げていくのがいいと思います。
さて、すき家から出て30分くらい歩くと、木曽三川が見えてきます。
本日、本当に暑いです!このタイミングでめちゃくちゃデカい橋……単調な道になるので精神的にも結構キツイです。お互いの口数も減ってしまいました。
でもまだまだ川が続くんだよな〜という気持ちで、真ん中の長島を歩いていました。この道も国道沿いで結構単調……橋の上よりも暑い感じするし、助けて〜。
こちらの橋も1 kmほどの長さがあり、発狂。特に、長良川が終わったところで橋が終わる!と思いきや、そのままダイレクトで揖斐川を渡ることになるので、二段構えの苦しさがありました。
でも、ここまでくれば桑名宿もすぐそこです。そこからは東海道に合流することになりますので、お楽しみスポットも増えるはず!
しばらく歩くと七里の渡し公園みたいなのがあるのですが、一緒に歩いてた友達がリタイアしてしまいました……。
今日のゴールである南四日市の近くで待っていてくれてるとのことなので、ここからは一人で歩きます。今日はスタートからメンタルでやられてたし、暑さや長い橋で苦しむ場面もありました。そんな中で一緒に歩いてくれたこと、本当に感謝しかありません。ありがとう。
先述の通り、ここから東海道に合流です。
桑名は宿場町にもなってるので、当然本陣跡とかもあります。
この辺はかなり東海道要素が多く、楽しかったです。
南西の方に歩みを進めていきます。
そのほど近く、町屋川を渡ります。
このあたりは朝日町といって、宿場町では無いものの、史跡などが沢山残っている地域みたいです。
しばらく進み、伊勢朝日駅付近へ。
今度はJRの線路沿いを進んで、朝日駅を横切ります。
ここまでは住宅街って感じの道でしたが、国道1号線との交差点付近には、田んぼが広がっていました。
一号線を越えたあたりから、四日市になるようです。
この看板が立ってる場所は広場になっており、机と椅子もあったので少し休憩しました。
国道1号線の西側を進んでいきます。
上の写真、山のシルエットもきれいに見えて本当にいい気分になってたんですけど、冷静に考えると明日ってあの山脈を越えるんだよな、ということに気づき、身が引き締まる思いでした。
川を越えると、四日市宿付近です。
国道を挟んで反対側へ。こっちの方は商店街になっていました。
しかかかわ、って読むのかと思ったけど、かばけがわと読むらしい。
ひたすら歩いて19:30頃、友達との合流地点に到着しました!
折角なので夜ご飯を食べてから解散することに。近くにすき家があったものの、唐揚げが無い店舗ということを友達が調べてくれていたので、別のお店へ。
久しぶりにコンビニじゃない夜ご飯食べた気がして、本当に感動してました。さらに友達に奢ってもらいました。本当にありがとう。
その後は近くのコンビニで朝ご飯を買い、ホテルへ。
今日は本来であればかなり辛かっただろうな、というところですが、友達の登場によりかなり助けられました。ありがとう。
一人になってからもそんなに苦しまずに歩くことはできたのですが、「明日の予定、ヤバ過ぎだろ……」ということで頭がいっぱいで、精神をすり減らしておりました。
9日目 2024/05/05 四日市~湖南
琵琶湖の下の方を目指して、滋賀県に進んでいきます。
ここに来て、鈴鹿峠を含んだ70 km超えのコース。さっきも書きましたが、前日の段階でかなり覚悟を決めていました。
当たり前なんですけど、70 km歩くのってかなり大変なので、この日は朝からめちゃくちゃ精神を研ぎ澄まして歩いてました。
内部川を越えてすぐ、恐ろしい標識が見えてきました……。
完全に鈴鹿峠に向けてメンタルを調整しており、まさかこんなタイミングで坂が出てくるとは思ってませんでした。
まあ正直そんな大変な坂ではなかったんですけど、ちょっと心が揺さぶられた感ありますね。
坂を上ってしばらく進むと、101番目の一里塚跡がありました。
さらに20分歩くと鈴鹿市に突入!
鈴鹿市入って初めの宿場町は、石薬師宿になります。
このあたりには、佐佐木信綱さんが詠んだ短歌が沢山掲示されていました。
時刻は8:00頃、朝はどんよりした天気でしたが、少し回復してきました。
田んぼの間を抜けて次の宿場町へ。
石薬師宿を出てから30分ほどで、庄野宿の入口に着きました。石薬師宿と庄野宿の距離は、東海道の中でも2番目の近さらしい。
庄野宿は、歌川広重が描いた東海道五十三次の中でも傑作と言われる、「庄野白雨」にも描かれている場所です。
本陣跡は集会所になっていました。
本陣跡から20分ほど、安楽川へ向かっている途中で、一里塚を発見。
そのほど近くから、広大な土手が広がっていました。
濁ってるように見えますが、底の砂利が茶色いだけで、水は綺麗でした。
その後はJR井田川駅を目指すように進みます。
亀山宿は商店街になってるタイプの宿場町でした。段々と宿場町分類できるようになってきましたね。
商店街を抜けて、少し坂を上ります。
鈴鹿川との合流を目指して、西へ進んでいきます。
このあたりに来ると、Part 2で歩いた道とのニアミスが多くなります。
その時は東海道は意識せずにとにかく最短ルートを歩いていたのですが、所々今回のルートと被る部分もあり、懐かしさを感じながら歩いていました。
今日は朝からかなり緊張感を持って歩いていたのですが、この辺から普通にお散歩楽しいなモードに突入し、愉快に歩くことができました。なんだかんだ言って、楽しく歩くのが一番良いよね。
11:00を少し過ぎた頃、関宿の入口に到着します。
関駅からのアクセスの良さのせいか、関宿は観光客で賑わっていました。二川や有松と同様、古い街並みを今に伝えています。
美しい景観だけでなく、古民家カフェや出店も多く、色々と遊べるスポットになっていました。
20分ほどで関宿の散策が終了。ここを過ぎると、一気に山が近づいてきます。
鈴鹿峠が近づいてきた証拠ですね。でも、今の自分なら鈴鹿峠も楽しんで歩けるだろうな、という自信がありました。
まあこの辺から少しずつ上り坂って感じの道になってきました。
自然歩道に入って30分ほど、傾斜も段々と大きくなってきましたが、ここで坂下宿の本陣跡に到着です。
坂下というだけあって、ここを過ぎると鈴鹿峠が本格的に始まります。
かなり急な坂道もあり大変でしたが、いい感じに木陰があって、一番暑い時間帯をやり過ごせたのはラッキーでした。
ここもPart 2の時に通ったのですが、その時は夜で真っ暗でした。暗闇の山道で急に広場が出てきたときはかなり不気味でしたが、明るい時に来ると神秘的な空気を感じることができました。
このあたりには国道へ合流する坂道や、片山神社に続く道もあり、どれが東海道なのか分からなくなってしまいました。正解の東海道は本当に山道な感じで、他のルートと比べてめちゃくちゃ分かりづらいです。
坂下宿の本陣跡から30分ほど、遂に頂上です!
ここからはじんわりじんわりと下っていきます。
甲賀市に突入してから40分ほど歩き、高速道路の下をくぐってすぐ、猪鼻村という集落に辿り着きました。
関宿あたりからここまで自販機やコンビニが無く、飲み物を切らしてしまいかなりピンチだったのですが、猪鼻村に自販機があり、無事補給することができました。ありがとう。
猪鼻村を出て20分ほど歩くと、土山宿が見えてきます。
土山宿を過ぎると、野洲川に突き当たります。江戸時代では、このまま川を横切っていたようですが、現代では橋を渡ることになっています。
歌声橋(←橋の名前かっこよすぎる)を渡り、反対側へ。そのまま北へ曲がり、川を横切った先へ合流します。
それからしばらくは野洲川と国道1号線の間を歩いていきます。普通の住宅街っぽい道でしたね。
歌声橋から1時間ちょっと、国道1号線と合流したりしなかったりしながら歩いていると、次の宿場町が見えてきます。
少し坂を上ると、古民家カフェが。
右に曲がるとか左に曲がるとかなら分かりやすいんですけど、Y字っぽくなってる道を横に逸れる、みたいな道はかなりルートミスしがちですね。案内板、ありがとう。
宿場町を抜けると田んぼって感じでした。大分日も沈んできたね〜。
道標から3分ほどで野洲川と合流、こちらを三雲駅方面に抜けるため、江戸時代では舟で渡っていたようです。
現代ではそのまま進むことはできないので、国道1号線の方へ迂回します。
このあたりは色んな道路が交差していて、歩行者は歩道橋を使うことになります。
歩道橋を降りると、今度は普通の橋です。
三雲駅の隣を過ぎながら、JRの線路沿いを北西の方に進んでいきます。
このあたりの道はひたすら真っすぐ。ゴールも近づいてきて気もはやります。30分くらいまっすぐ進んだら東海道を離脱し、宿を目指すルートへ。
東海道を逸れて10分ほどで宿に着きました!
今日はかなりカツカツのスケジュールでしたが、明日はちょっとゆっくりできます。折角なので、近くの飲食店で夕飯を食べることにしました。
あんまり魚食べてないな〜と思い、海鮮丼を注文。
その後はホテルへ戻り、大浴場で疲れを取って就寝しました。
今日って本当に苦しい戦いを覚悟してたけど、歩いてみると楽しい道が多く、お散歩本来の楽しさを享受しながら歩けた気がします。
いやでも、「杖衝坂って今日の出来事か……」と思うとやっぱり長く歩き過ぎてる気もするなぁ……。
10日目 2024/05/06 湖南〜京都
いよいよ最終日!今日は帰りの移動もあるので距離は控えめ、気持ちも軽いです!
朝もゆっくりでOK!ホテルの朝ごはんを食べてから出発します。
ご飯を食べて、7:15くらいに出発しました。やっぱ、夜も朝もゆっくり過ごせるのって旅行って感じがして、いいなあ。
20分ほど歩くと、石部宿の入口にたどり着きます。
石部にはお城もあったみたいです。
その後はJR沿いを歩いていきます。
さらに進んで手原駅付近、不思議なベンチを発見。
この辺からJRを離れ、やや南寄りに進んでいきます。
歩き始めて2時間半ほどで草津市に突入。
橋から10分ほどで草津宿の中心地に辿り着きます。
この追分は東海道と中山道の分岐点です!中山道は五街道の中で最も長い道で、こちらも江戸と京都を繋いでいます。結構感動。
宿場町っぽいところを抜けて、南西へと進みながら琵琶湖の端っこを目指します。
そんな感じで色々見ながら、草津宿を出て1時間半ほど歩きました。すると、遂に琵琶湖が見えてきます!
その後は琵琶湖沿いを北上していきます。京阪石山坂本線と合流したり離れたり……。
北上していくと琵琶湖の広がった部分に突き当たりますので、その後は西へ進みます。
この辺歩いてる時は雨が降ったり止んだりって感じでしたね〜。まあ雨自体はいいとして、レインコートを着るとやっぱり暑くなっちゃうのでそこが大変でした。
琵琶湖から1時間半くらい、遂に最後の宿場町である大津宿に到着!!
ここまでくればあと少し!緊張してきたな〜。
逢坂を南下しながら谷を抜けていきます。
途中で国道1号線を少し逸れます。このあたりはうなぎの名所らしい。
再び1号線に合流。ゆっっくりと下っていきます。
高速道路の横を歩いていきます。この辺は京都府との県境になっていて、そのすれすれの三重県をずっと進んでいく感じですね。
上の地図で言う追分駅のあたりが、下の写真になっています。
そこから少し歩いたところに歩道橋があり、これを渡る時に県境の標識が見えます。
余談ですけど、ここで通った歩道橋ってPart 2では工事中で通れなかったんですよね。通れてちょっと感動。
ここまでは大きい道路沿いを進む感じで結構騒がしい道でしたが、歩道橋から降りると落ち着いた雰囲気の道になります。
商店街みたいな感じでワイワイしてるのですが、30分ほど歩くとそれも終わり……山科駅を過ぎたくらいから、最後の試練が始まります。
まあ今日って今までと比べて全然距離ないし、これくらいの坂道はなんてことないですね。
もう旅が終わってしまうのか……という気持ちが結構強かったですね。
人通りも増えてきて、いよいよゴールか……という気持ちに。信号もいっぱいあって大変だ。
そして15時、いよいよ東海道の終着点である三条大橋に到着です!!
まあ京都ってもう街全体として歴史的な感じになってるので、東海道が大々的にピックアップされるようなこともなく、そこは少し残念でしたね。
また、今回は糖質制限のお陰もあってか、体力的にはかなり余裕をもって歩くことができました。前みたいに低血糖で動けなくならなくて良かったんですけど、その分、着いた〜!という達成感や開放感は少なく、ここで終わりか……という寂しさが勝っていましたね。
ということで、三条大橋を渡ってからもう少し歩きます。今まで歩いてきた道と比較して、圧倒的に人が多い!びっくりしました。
三条大橋から30分ほど歩いて、目的地に到着。Part 2の時、京都出発前夜にお参りした、護王神社です。
護王神社は足腰のご利益がある神社で、足腰お守りとかも売ってます。ここまで無事に歩けた感謝と、これからも足腰を守ってくださいというお願いを申し上げました。
前回来た時は日本一周開始前でしたので、今回日本一周のルートに含めることができて良かったです。
さて、では最後の仕上げに、Part 2での出発地点へ行きたいと思います。
引き返すこと30分、Part 2の始点となるサイゼリヤに到着!これで本当に今回の徒歩旅は完了となります。
ここから歩いて京都駅に向かう予定だったのですが、サイゼと駅って想像よりも全然離れていて、お土産を買う時間とか考えると帰りの新幹線に間に合わなくなるので、地下鉄を使って移動しました。急げ〜!
新幹線の中では、駅弁や自分用のお土産を食べて過ごしてました。座って食事してるだけで移動できるの本当にすごい。
もうね、今回の旅で恐ろしいほどエネルギーを消費しているので、糖質制限とか関係なく食いまくって体重戻さないとやばいんですよね。帰ってから体組成計乗ったら体脂肪率8.6%とかになってたし、体重は2 kg減ってました。
帰りの新幹線、マップ見てるだけで楽しかったな〜。新幹線って本当に速いんだもん。
帰宅後もしっかりと夜ご飯を食べて、ぐっすり眠りました。
今回のまとめ
歩いた距離 639.5 km
かかった時間 114時間46分
歩いた歩数 747,352歩
歩いた日数 10日
歩いた都府県 7/45
東海道は500 kmとかよく言いますけど、実際に歩くと色々込みで600 km超えちゃうんですね〜。1日50 kmで歩くとしたら、13日は確保しておいた方がいいかな、と思います。70 km歩くと本当に時間なくなっちゃうんで。
ここまでのまとめ
歩いた距離 1416 km
かかった時間 252時間33分
歩いた歩数 1,730,218歩
歩いた日数 26日
歩いた都府県 11/45
抜けていた東京-京都間が埋まり、見た目的にも気持ちいい感じになりましたね。次の大移動は年末年始かな〜。
憧れの東海道を歩けて本当に楽しかった!少し進めば宿場町や一里塚など、楽しめる史跡がたくさんあって、退屈することなく歩けたかな、と思います。普通に歩いてると、2時間国道沿いで景色が変わらない、とかよくあるし。
特に二川や有松、関といった美しい景観の町はオススですので、ぜひ皆さんもお近くの東海道を歩いてみてはいかがでしょうか。
さ〜てと、じゃあ最後に、この旅で一番言いたかったこと言うか〜。
GPXの所得にはStravaを使いました。GPXファイルの結合にはJourneyMapを使いました。
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