ADHDが健常者を諦めてとりあえず生活するためのヒント
自分について
自分は小学1年生からADHDと診断を受けた。これは当時としては珍しく早い段階診断だった。なぜ診断を受けることになったかというと、母親がいわゆる"教育ママ"ではあり最新の情報を取り入れることに熱心だっため何かの本に触発されたためらしかった。
母のアドバイス
そんなわけで小学生の時から僕が障害だとわかった母は色々と調べて様々なアドバイスやグッズを用意してくれた。例えばメモをするのがいいと聞けば普通のメモ帳から腕に巻くタイプ、首から下げるタイプなど色々買ってくれたし、忘れ物をしないためにチェックリストや持ち物カード、指差し呼称なども教えてくれた。
しかし母には申し訳ないがそういった工夫の数々は成人するまでにほとんど身になることはなかった。
アドバイスが響かなかったわけ
なぜ母からのアドバイスが身にならなかったのか?
それはその多くが健常者がより良い生活を送るためのものだったからだ。そもそも日常生活が怪しい僕はそれらを実行する段階にはなかったのである。メモを持ち歩くのもチェックリストを用意するのも基本的に何かを忘れずに持ち歩ける人がうっかりをなくすための方法なのだ。
全てを忘れて手ぶらで帰ってくるような人にとって忘れ物を1つ減らす程度の工夫では間に合わない。そうした場合はもっと根本的な手段が必要になるがそういったものは健常者は無意識的にクリアしているのですっとばされてしまう。結果、世の中ではADHDにとって糞の役にも立たないウルトラC級の高難易度ライフハックばかりが紹介されている。
広すぎるライフハックの定義
巷にあふれるライフハックや仕事術の多くは+αであって、生活がガタガタのところに乗せるものではない。つまり一緒くたに工夫やライフハックといっても必要なレベルが違うのだ。ライフハックという言葉の定義が広すぎる。したがってライフハックを段階によって以下の3つに分類したい。
やらかしたときにリカバリーできるようにするライフハック
やらかさないようにするライフハック
さらに効率や体験を向上させるライフハック
1は文字通りやらかしをリカバリーできるようにする方法だ。どうせなにかやらかすのだから予め予防措置を講じておくのは大事なことだ。
僕はよくなくすものは大量に買って使う場所それぞれに余るほど置いている。たとえば充電ケーブルやノート、筆記具などは職場と自宅、鞄にそれぞれ複数セット用意して忘れたりなくしたりしても困らないようにしている。
2はたまに発生するやらかしを防ぐ方法、ではない。ほぼ毎回やらかすのをへらしたり緩和したりする方法を指す。
僕は毎日会社に15分遅刻していたが寝室を玄関に近い部屋にすることで毎日5分の遅刻に抑えている。もちろん遅刻しないことが最も望ましいが、とりあえず5分遅刻に抑えられるのであれば、健常者向け高難易度ライフハックに挑戦した挙げ句失敗し15分遅刻するよりはるかに良い。
健常者になることを諦める
上記ライフハック分類のうち、世にはびこるライフハックのほとんどが3にあたるが、ADHDが生活を送るうえで本当に必要なのは1と2である。
つまり、健常者を諦めて結果ギリセーフ目指すということだ。どうせやらかすならそれを前提に行動することがまず優先であり、その次にやらかさない方法を考えるべきだと思う。東大生が歴史は流れから学ぶべきだと言っているのを聞いて実践したあげくテストに間に合わず落第するよりも、とりあえずヤマを張って丸暗記でも60点を採れた方がいいに決まっている。
訓練は続ける
ここで誤解されたくないので強調するが慣化や訓練をしなくてもいいということではない。ここでいう習慣化や訓練は毎日出かける前に持ち物を確認できるようになったり、人に言われたことをどこかに必ずメモできるようにするといったことを指す。これらはADHDが社会を生きる上で必要なことであり避けて通れないものである。この記事は訓練を避けて楽をすることを推奨したいわけではない。あくまで世に出回るスマートなライフハックに惑わされて消耗するくらいなら、効率が悪くても自分達にあった方法を選択してはどうですか?という提案である。
訓練の間にもリカバリーを考える
前述の通り、ADHDには訓練が必要になる。とはいえ訓練しているからといって何でも許してくれるほど世間は甘くない。社会人になってしまうと特にそれが顕著になってしまう。そこに文句をいっても始まらないので諦めて訓練とリカバリーは同時にやろう。
僕は電車を降りる際に必ず後ろを振り返って忘れ物がないかチェックするようにしている。その程度がなんだと思う人も多いかもしれないが、僕はこれを完全な習慣にするのに5年以上かかった。そして、それと同時に予備策も打っている。具体的には巨大なリュックを用意し手持ちの荷物を全てそれに入れてリュックだけ忘れなければよいようにしている。それならそのでかいリュックがあればチェックする習慣はいらいのでは?と思うかもしれない。
しかし、時には違うリュックを使うときもあればどうしてもリュックに入れることのできないものを手に持たないといけないときもある。こういった時に忘れないようにするには移動時にチェックする習慣が必要になる。
習慣化を訓練する一方でその難易度を下げたり、リカバリー策を考えるのが大事だ。もし僕が巨大なリュックを使わず降りる際のチェックを習得できるまで何もしなかったら、とんでもない枚数のPASMOや保険証が再発行されていたはずだ。訓練の間もどうせやらかすので訓練しつつもそれができなかった時の対策を考えるべきだろう。
ゴリ押しでセーフにする
散々言ってきたようにADHDどうせやらかす。それはもうあきらめて受け入れるしかない。しかしそれを言い訳にしても何も解決しない。ではどうするか?ゴリ押しでセーフにしてしまえばいい。ある意味で結果主義的な考えを持とう。
もうわかっているかもしれないが僕は忘れ物や失くし物が多い。それは移動時のみならず、自宅内や職場や学校でもそうだった。特に"毎日使うもの"を用意するのが苦手だ。筆記具やノート、最近だと充電ケーブルや名刺を忘れずに持ち歩くのが難しい。ではどうするか?飽和するまで買い揃えればいい。筆記具やノートを全て2セットずつ各所に置いておけばいい。移動したらなくしてしまうものは移動先すべてに大量に用意しておけばいいのだ。職場でも事務所と作業場、自宅では各部屋に必要な物のセットを置いている。リュックや鞄も替えたら忘れるのですべてのリュックに1セット以上入れておく。
ゴリ押しで解決するには金がかかるかもしれない。しかしそれでもノートやペンを十数セット買ったところでいくらでもない。それよりそれを探し回る時間やそれらがないことで発生する損失の方が大きい。消耗品やこだわりのないものはどうせなくしてしまうなら、無くならなくなるまで飽和させてしまえばいいのだ。
数を絞る
とはいえ財布やスマホ、身分証を各所に用意しておくわけにはいかない。会社によっては機密扱いの書類はコピーするのも難しい場合もあるだろう。そういったゴリ押せない場合はどうしたらいいだろうか?極力まとめて認識するモノの数を減らし認知負荷を削ることを優先しよう。
もうわかっていると思うが僕はものをよくなくす。それは身分証や財布などの重要なものでもあっても同じだった。そこで自分の家にある全ての身分証やカードと現金、そして鍵類を1つの財布に詰め込んだ。メモも以前は用途別にノートを分けていたが今は1冊に仕事もプライベートも関係なく書いている。財布もノートも1つにまとめることで、その1つを持っているかどうかを確認すればよくなった。
結果として財布はパンパンの不格好なものになったし、ノートは全てが書かれた混沌としたものになったが、おかげで財布(とその中身)もノートもここ最近は忘れたりなくしたりすることはなくなった。色々な持ち物を毎日チェックするのは難しいので数を絞りその数個を全力で死守すれば辛うじて生活を送れるようになる。スマートな財布やできる人のノート術はそれができてから考えればいい。
つまり大切なものはまとめることで認識する数を減らして集中し、毎日使うようなものは飽和するまで周りに置いておく。
何度もいうがこれは生活ができる最低限の方法にすぎない。これらができている人はもっとかっこいい方法を採ればいい。
おわりに
自分は人生の半分以上をADHDと診断されて生きている。もはやADHD古参といってもいいかもしれない。そんな古参勢には障害であることも健常者と同じことができないこともとっくに受け入れた日常に過ぎない。しかし、近年増加しているADHD新規には障害というものを受け入れるのもしんどいかもしれない。ただ残念ながら脳構造を変えられる技術は今後しばらくは出ないだろう。であれば開き直ってしまえばいい。一旦、健常者の生活を諦めて自分なりの生活手段を確立したほうが生産的ではないかと思う。
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