透けた向こうにかつての自分がいるやつがしんどい
みなさんの身の回りに嫌いなやつというのはいないだろうか?
ここでいう”嫌なやつ”とは、話してすぐに仲良くできないことを予感させてくれたり、自分のなかの評判の回復が見込まれないような人間のことだ。
もちろんよく話してみればいい奴だったとか、そう見えていたのは緊張していただけだったとか、そういった話もいくらでもあるし決めつけるのは良くないというのも理解している。
しかし僕はどうしてしんどくなってしまう人がいることに気がついた。
それはかつての自分に似たやつだ。
同族嫌悪といえばそれまでかもしれないがもうちょっと聞いてほしい。
他人と会話した時、その相手にかつての自分がやらかしてきた失敗を見たときや、何か別の目的があってやっていることが透けてしまうと共感性羞恥と自己嫌悪で爆発してしまう。とくにそのストラテジーを採用した理由まで見えるような場合は致死級のダメージだ。
そういった人たちとは会話することがしんどすぎて仲良くすることができないことが多い。
(ただし相手が悪くないのに勝手に自爆することもある)
この前、ネットで知り合った男性とご飯に行った人の会話がそうだった。
僕「こないだ博物館にいってクジラの骨を見てきたんですよ」
相手「へぇ博物館に行ってクジラの骨みたんだ!」
僕「そう。でも列が長くてねぇ」
相手「列が長かったんだねぇ」
僕(…)
そう彼は会話のテクニックとして"オウム返し"を意識していたのだ。
しかしそれは話術というにはあまりにも露骨だった。わかりやすく、つたなく、粗く、そして大雑把すぎた。それはまさに話術のコピペだった。
彼は少しコミュニケーションが苦手ないわゆる”陰キャコミュ障”だ。
だからどこかの本で読んだテクニックを実践したのだろうと思うし
その努力と勇気は賞賛したい。
しかし、だめだ…彼の後ろに自分が見えてしまう。
かつてのコミュニケーションを学ぼうと自己啓発本を読み、そこに書いてあるテクニックをそのまま実践していた自分が…
彼もかつての自分も、話術としての会話していて自分の言葉で話していない状態だったのだと思う。そんなスクリプトのような話術は同じテクニックを読んでる者にはそれとはっきりわかってしまうのだ。
そんな彼のオウム返しに気が付いてからはもうずっとそのことが気になって何の話も入ってこなかった。自分の放った言葉がすべて彼という装置にぶつかると反響してくるのだ。まるで自分と問答をしているような感覚に陥っていた。
彼は何も悪くない。むしろ話術を学び実践しようとして頑張っている。もし僕が過去に同じことをしていなかったり、テクニックを知らなければ彼とは楽しくお話ができたかもしれない。
そう思いながらネアンデルタール人の模型を眺めてその日は終わったのだった。
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