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なるようにしかならない。
先日、ひさしぶりにある所を訪れてみた。
京都府立 陶板名画の庭。 http://kyoto-toban-hp.or.jp/
打ちっぱなしのコンクリートといえば、、、そう。ここはあの有名な建築家 安藤 忠雄 氏の設計により建てられた施設であり、美術館というか、庭というか、なんとも斬新なデザイン空間。
陶板に再現された美しい名画達が屋外に展示されており、そもそも絵画を屋外で鑑賞出来るというだけでも、その発想にビビるのですがw
入園料は100円。
『 最後の審判 』( ミケランジェロ作 バチカン・システィーナ礼拝堂 ) の陶板画。この迫力!!!!ほぼ原寸大だとかw
天気によって同じ絵でも、全然違った雰囲気に感じられるだけでなく、季節のうつろいを肌で感じながら時間を忘れ、ただひたすらにぼーーーっと過ごせるので、自分を取り巻く様々なしがらみや、モヤモヤから解き放たれたい時にはオススメかと。
また、個人的にですが。雨の日が好きなので、雨音を聴きながら、どす黒い空の下で『 最後の審判 』っていうのもいずれやってみたいですね。
それにしても...多言語がまっまたく聞こえてこないというのは、こんなにも心落ち着くものなのか。新型コロナウイルス騒動の影響で、溢れかえっていた観光客達は京都の街からすっかり姿を消し、というより...ここ数年は特に異常だったわけでw
冷静に考えれば考えるほど、ただ単にぐるーーーっと一周まわって元に戻っただけなのでは??と思ったりも。
だって、、、
始まれば終わりは必ずやって来るもの。物事は常に変化を繰り返し続けてるわけで。
そんな原寸大の『 最後の審判 』を眺めていると、新型コロナウイルス騒動以来、自分の思考も行動も立ち止まっている事に気付く。
3月の釧路行き( これは新型コロナウイルスというより、爆弾低気圧による釧路地方の暴風雪による欠航 )、4月に予定していた東京でのTABICA体験開催、5月の京都でのイベントと立て続けに自分で計画した事が延期に追い込まれているにも関わらず、なんだこの開放感。
昨年の年明け早々から、2020年を迎えたつい先月くらいまで、スケジュールを詰め詰めにし、何か企画しては何かカタチにし、3ヵ月後、半年後とガンガン予定入れまくって、いったい何に追われてた??と感じずにはいられないほど生き急いでいた自分。
まぁ、時には我を忘れるくらい、がむしゃらにやる時期も必要やと思いますけど。
階段、、、いや。上りのエスカレーターに乗って、立ち止まれば下に向かってしまう!!といった見えないものへの恐怖感から、むりやり足を進めては上へ!上へ!と登らなければならない感覚に捉われ、追い込む事しか知らなかった自分が新型コロナウイルス騒動であらゆる世の中の流れやシステムが停止、混乱してる中で、妙に落ち着き払って、少しホッとさえしているw
むしろ。世の中全体が新型コロナウイルスという感染症により、どうにもこうにも立ち行かない、歩みを止めざるを得ない感じが、立ち止まって足元も見直す時期を与えてくれて、何もしない( 努力を怠るという意味ではない )、急がない、余裕のある状態で客観的に物事を捉えるきっかけ、自分のすべき事を教えてくれている。
数週間後、数ヵ月後の状況も見えない。見えないことほど不安なものは無いからこそ、世の中全体が混沌としてて。こうであって欲しい!!という願いが『 執着 』になり、殺伐としてて。
何をやってもダメなときってある。そんな時に、余計に頑張っても、きっとダメなんだろうなと。力を入れることよりも、力を抜くことの方が意外と難しいのかもしれない。
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