日本人が好きな『心中物』に過剰反応してしまった江戸幕府・成願義夫 記
浄瑠璃や歌舞伎脚本の作者として知られている『近松門左衛門』の名前は皆さんも聞いたことがあると思います。
上方歌舞伎の『和事』や『世話狂言』には、日本人が大好きな『心中物(しんじゅうもの)』と呼ばれるジャンルの物語が多いのです。
中でも、「近松門左衛門といえば、心中物」と言われるほど、多数の心中物を書いています。
『曽根崎心中』1703年(元禄16年)
『今宮の心中』1711年(正徳元年)
『心中天網島』1720年(享保5年)
『心中宵庚申』1722年(享保7年)
『心中二つ腹帯』1722年(享保7年)
当時、この心中物の流行に幕府が敏感に反応しました。
1722(享保7)年、遂に心中物の出版に関する禁令が出されたのです。
心中物の心中とは、この世で添い遂げる願いの叶わぬ男女が互いに手を取ってあの世で結ばれることを誓って死出の道を選ぶ事をいいます。
特に江戸時代は実話を元にしたものも少なくありませんでした。
これを江戸幕府は「幕府批判」と、とったのです。(笑)
なぜだかお分かりでしょうか?是非理由をお考えください。
更に幕府は心中を思いとどまらせるために、心中した者は以下のように処置することを決めました。
1.心中した男女の遺体は、服を剥ぎ取って裸にして晒す。
2.心中した男女の遺体は、埋葬を許可せず、そのまま朽ち果てるのに任せる。
3.心中で男性が生き残った場合、その者を死罪に処する。
4.心中で女性が生き残った場合、その者は無罪とする。ただし、男女が主従関係の場合、女性は死罪とする。
5.心中で両方が生き残った場合、3日間晒した後、最下層の身分に落とす。
しかし、近松門左衛門によって元禄期に書かれた『曽根崎心中』から空前の心中ブームとなり、近松の『心中天網島』『心中宵庚申(しんじゅうよいごうしん)』などに触発された様々な作者によって数多くの心中物が登場しました。
写真は今は亡き、平幹二朗さんと太地喜和子さんが演じて空前のヒットとなった舞台『近松心中物語』のクライマックスシーンです。
クライマックスシーンはYouTubeでご覧いただけます。
#和文化ビジネス思考
講師成願義夫
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