最初に羽織を着た女性は?
女性の羽織の始まりは江戸時代の深川の芸者(辰巳芸者)だったと云われています。
深川の芸者には「羽織芸者」という異称もあるほど、羽織が特徴的でした。
深川芸者が客席に羽織を着て出たところからこの呼び名が付いたそうですが、ことの始まりは、屋形船のお座敷の際のあまりの寒さにある芸者が、ご贔屓の旦那の黒羽織りを借りて、寒さ凌ぎに羽織ったのが始まりだろうと云われています。
それを見た他の芸者も真似をするようになりました。
しかし、防寒具では色気も粋さもないので、男物であることを逆手にとって、「深川芸者は、色を売らず、『意気』と『張り』を看板にしているんだよ」と男っぽく啖呵を切り、それが受けたのが事の始まりだと云われています。
それで、人気が出始めたので、芸名も女名前ではなく、「ぽん太」や「蔦吉」「豆奴」などの男名を名乗るようになったそうです。
以前、女優の二宮さよ子さんから直接お聞きしたのですが、新派を代表する女形役者だった、人間国宝の花柳章太郎さんは、「女性の羽織は肩の最後の骨に引っかけて羽織るものだ」とおっしゃっておられたそうです。
志村立美さんが辰巳芸者を描いた日本画「木場」はまさにそれですね。
このゆったり感は男物を着ていることから生まれるのです。
辰巳芸者は冬でも足袋を履かず、素足、地味な鼠系の色の着物がさらに特徴だったとのことです。
羽織は人前で脱げるものですから、「脱ぐ色気」も辰巳芸者の魅力の一つだったと云われています。
因みに男の黒紋付羽織は正装ですが、女性の羽織姿は今でも正装ではありません。
脱ぐ色気と言えば、今は亡き、桂春蝶さんは、後に師匠になるこれも亡くなられた三代目桂春団治さんの舞台上での鮮やかな羽織の脱ぎ方に惚れて弟子入りを決めたそうです。
春團治さんは山村流の舞の名手としても知られている方で、着物の所作などに対する美意識は非常に高かったようです。
私から見ても色っぽく、粋で美しかったです。
春團治さんの脱ぐ美学はYotubeでご覧いただけます。https://www.youtube.com/watch?v=MUAGBIG62MI
和文化デザイン思考 講師
成願義夫