白い喪服
2012年に亡くなられた歌舞伎俳優 18代目中村勘三郎さんのご葬儀では、喪主の奥様が白い喪服を着用していたのをご覧になって驚かれた方も多かったのではないでしょうか?
ところで、喪服が慣例となったのは奈良時代と言われています。
「日本書紀」によれば、当時、故人の親族や会葬者は白い喪服を着用しました。そして、庶民の喪服は、その後千年以上にわたって、白い喪服が主流となりました。
ところが、718年の「養老喪葬令」において、天皇が「錫紵(しゃくじょ)」と呼ばれる薄墨色の麻の細布衣を喪服として着用するようになったのをきっかけに貴族達にも薄墨色の喪服が広まりました。そして、時が経つにつれて墨染めの色は濃くなり、平安後期になると黒色(濃いグレー)の喪服が貴族や上流階級では、一般的になりました。
しかし、貴族の影響力が薄れた室町時代に再び白の喪服が主流になり江戸末期までその風習は続きました。
そして明治維新が起こり、西欧列国の慣習であった黒の喪服を日本も取り入れました。
それ以来現在まで私たち庶民は喪服と言えば『黒』になったのです。
しかし、江戸時代以前から伝統が継承されている歌舞伎界などでは、未だに白喪服の伝統も守っているのです。
また、地方の風習として現在も白の喪服の伝統を守っている地域もあります。
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成願義夫 着物図案教室(オンラインor オフライン)
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●成願義夫 Jogan Yoshio プロフィール
株式会社京都デザインファクトリー代表取締役伝統文様研究家、装飾画家、アートディレクター、着物デザイナー、グラフィックデザイナー、伝統産業商品開発アドバイザー
●代表作と最近の活躍関西国際空港の初代ウエルカムボードのデザイン。長野県善光寺の納骨堂の納骨壇の扉デザインの他、納骨堂のデザインは多数。サッポロビールワインラベルなど、手がけたデザインは多数多岐に渡る。
●近況2018年、秋、成願がデザインした金属製スマホケースが英国ウェールズ国立博物館に永久保管決定。
2018年、冬、和柄をテーマにした民放テレビ番組に解説者として出演。
2019年、春、ジョルジオアルマーニビューティー主催のイベント講師に招かれる。
2019年、夏、京都駅ビルのフォトスポット四箇所のデザインを手がける。2019年、秋、京都高島屋のバイヤー向け『伝統文様勉強会』講師を務める。2020年、埼玉県秩父市の招きで2日間に渡り講演会と伝統デザイン勉強会を開催。
2022年、NHKのテレビ番組『美の壷』に出演。
●近年はグラフィックデザイナー、壁面装飾画家、着物デザイナー、伝統文様研究家、伝統産業の商品開発アドバイザー、講演家として、テレビなどにも出演し、幅広く活躍中。 著書は、和柄デザイン素材集を10冊以上執筆。総販売数は40万冊を突破。また、著書の大人の塗り絵『和柄のヒーリングぬり絵ブック』(PHP研究所発行)は、累計6万5千冊を突破していまだにロングセラーを続けている。成願の和柄デザイン素材集は日本中のデザイン事務所に、必ず1冊以上置かれていると言われている 。