江戸時代の人々の驚くべき想像力
江戸時代の古典落語にまつわるお話。
こんな短い落語がある。
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ある男が大きな茄子の夢を見たと友人に言った。
それを聞いた友人の八兵衛が両手を広げて
「その茄子はこれくらい大きな茄子だったか?」と尋ねると、
男は「そんなもんじゃない」という。
「じゃあ、たたみ一畳ぐらいか?」
「そんなもんじゃない」
「ではこの家ぐらいあったか?」
いや、そんなもんじゃない、もっと大きい」
「じゃあこの町内くらい大きかったか?」
「いや、まだまだそんなもんじゃない。
たまりかねた八兵衛は
「じゃあ、いったいどれくらいの大きさだったんだ?」
そこで男は答えた。
「強いて言えば、暗闇にヘタをつけたような・・・」
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このオチはまるで暗闇に質量があったかと思わせるようなすごい想像力だ。
現代人には、なかなか出せない想像力だと思う。
この発想が出るのは、江戸時代、それほど暗闇が身近なものであったからとも言える。
考えてみれば、現代のような街灯もなければ24時間営業のコンビニも無い。江戸時代には真の闇が身近に存在した。
現代の私たちの日常とは真逆だ。
現代人は「明るさは文明の象徴」『明るさ=安全』という錯覚に陥って、ますます暗闇を遠ざけた。
24時間明るい都会。
「眠らない街、東京」は、昭和50年代に流行った言葉だ。
結果、暗闇には新たな恐怖という想像の産物が潜み、現代人の中には、真っ暗にした部屋では怖くて眠れないと言う人まで現れた。
本来ならば、人間は日の出と共に目覚め、日没と共に眠ると言うリズムが正しいはず。
脳科学的にみても本来の人間の眠りには静けさと暗闇が必要だ。
その環境から人は深い眠りを得られる。
それは、人類が地球上に誕生し、電球が発明される140年前まで繰り返されてきたリズムとサイクルだ。
第二次産業革命以降、私たちは『照明』に着目して様々な物や文化を生み出してきた。
現在、世界中には多くの「照明デザイナー」や「光の演出家」が活躍している。
もうそろそろ、「陰影デザイナー」や「暗闇の演出家」が活躍しても良いころだと思う。
成願 義夫
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