「後の先」か「先の先」か・・・・
先日、自民党が敵のミサイル拠点をたたく「敵基地攻撃能力」の名称を「反撃能力」と変えた上で保有するべきだとの提言をまとめたと言うニュースを見た。
これは非現実的な詭弁だと言っていいだろう。
どちらにしても、今の日本では、相手が手出しするまで攻撃はできない。
要するに相手に殴られてから相手を殴り返すということだ。
もちろん、殴られなければ殴り返すことはない。
ところで、居合などの武道では『後の先(ごのせん)』という教えがある。柔道では「返し技」とも言われる。
真剣勝負では、相手が抜いた瞬間に相手を斬ることを意味する。
だが、あくまでも相手が抜くのが先だ。
しかし、結果として、相手より先に斬る。
これが「後の先」だ。
なぜならば、真剣勝負では、斬られてから反撃することはほとんど不可能だからだ。
ところが、日本政府が言っている「反撃」とは相手に斬られてから斬り返すという意味だ。
私がどこかの国の独裁者で日本を攻撃したいなら、中途半端に攻撃したら、日本が反撃することは解っているので、反撃できないように一度に数百発のミサイルを撃ち、先制攻撃する。
つまり、一度の攻撃で日本の息の根を止める。
先制攻撃はすなわち最終攻撃でなければならない。
戦争は長引けば長引くほど、仕掛けた方も被害が甚大になるからだ。
それができないなら武力攻撃はしない。
これまでの常識ではそんなことする馬鹿はいないと思っていた。
ところがプーチンの失敗を見たどこかの独裁者がこんな愚かなことを考えて実行する可能性がゼロではなくなってきた。
なにしろ彼らは常軌を逸している。
人は正義の為ならなんでもできる。正義ほど恐ろしいものはないのだ。
トルーマンが広島、長崎に原爆を落としたのも彼らにとっての正義を貫いたまでのこと。いまだにアメリカでは50%近くの人があの選択は正しかったと支持している。
自衛隊や防衛省のお偉方も馬鹿じゃ無いので、そのことはわかっている。
法律の改正も含めて「後の先」をいかに機能させられるか?
そこが問題だ。
しかし、日本が目指すべきは、相手に刀を抜かせず、こちらも抜かずして相手の戦意を喪失させることだ。
それを「先の先(せんのせん)」と言う。