京都のお茶屋の一見さんお断りの本当の理由
京都の花街ではお茶屋遊びをするお客さんには、付き合えるお店は1軒だけという暗黙のルールがあります。
信用がものをいう世界である花街では、お店を変えることは、その店を裏切るということになるのです。
花街では、お茶屋さんは違っても「どの置屋(おきや)の誰だれ」というように、気に入った舞妓や芸妓を呼ぶことができます。
昔は、浮気(お茶屋を替えること)をする人は、たちまち街中に噂が飛び交って、すぐに嫌われてしまったそうです。
しかし、昨今はそのようなしきたりも軽んじられ、お茶屋も営利目的であるので、存続の為に目を瞑ることが多くなったと、以前、私が知る女将は嘆いていました。
さらに客のお茶屋への代金の支払い方法が特殊でした。
それは暗黙の了解で、客は一々その日の費用を尋ねたりせず、お茶屋も毎回お会計をしていたわけではありません。
江戸時代や明治時代は、盆暮の年に二度払いが普通でした。
現代でも常連客は月払いが普通です。
まさに信用の世界だったのです。
ところで祇園のお茶屋さんなどでは、下足番が客の履き物を管理しました。
実は常連さんの履き物を毎回観察するうちに下駄や靴底などの減り方から、客の健康状態を見抜いた下足番が実在したそうです。
客の異変に気づいた下足番は、こっそり女将や客の馴染みの芸妓に告げていたそうです。
その結果、それとなく客を病院に行くように誘導したり、客の奥様に連絡したり、最大限の配慮をしたそうです。
つまりお茶屋とは、究極のホスピタリティーを整えた接客業であったということです。
だから、まずは信頼関係を構築することを優先するために、「一見さんお断り」と、なったということです。
「一見さんお断り」と言われると、気位の高い気難しいお店の印象があるのですが、本来はホスピタリティー故のそれだったのです。
戦前の京都の商家の奥様は、旦那が花街で遊ぶことは全く咎めなかったそうで、むしろ「遊ぶなら玄人の芸妓さんと遊んでください」と奨励していたそうです。
その理由の一つがまさにこの徹底したホスピタリティーにあったのです。
さらに「客の奥様を敵に回さぬこと」は、花街の最低限の心得だったわけです。
当然のことではあるのですが、商家の奥様は旦那が素人女に手を出すことは許しませんでした。
理由は言うまでもないですね。
そして、お金持ちの商家の主人が妾を持つことも普通だった時代。
本妻公認で元芸妓が囲われることが多かったのです。
一番の理由はやはり「本妻を敵に回さない」という、最低限のルールが元芸妓には染み付いていたからなのです。
商家の奥様が安心して旦那を送り出せる場所。
それが、本来の花街の姿だったのです。
参考知識ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
『お茶屋』は、芸妓を呼び遊興する為の店で、現在では風俗営業に該当します。料亭との違いは、厨房がなく、店で調理した料理を提供しないことです。
お客が飲食を希望した場合は、馴染みの仕出し屋から料理を運ばせます。
『置屋』は、舞妓や芸妓が所属するプロダクションのようなもので。
舞妓は所属する置屋に住み込みます。
置屋は、芸妓を育てるため、「花街ことば」や「しきたり」、「行儀作法」などを教え(仕込み)、さらにお座敷芸として舞踊や鳴り物も習わせてくれます。
『仕込み』とは、花街独特の言葉で、舞妓になる前の見習い中の少女を指します。仕込みは約1年間、住み込みで花街のしきたりや礼儀作法、独特の言葉や舞踊などを学びます。仕込み時代は朝から夜遅くまで、ほぼ自由時間はありません。
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和文化ビジネス思考講師
成願 義夫
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