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「着物の図案家」という職業

図案家のルーツ

着物の図案家は、明治以降、型友禅の発明によって生まれた職業です。
明治時代、庶民も絹の着物を着る機会が増えると、絹の染物の量産が求められるようになりました。
そのニーズに応えるべく、広瀬治助が化学染料を用いた型友禅を発明し、着物の大量生産が可能になりました。

つまり、図案家(着物に限定すれば)の仕事とは、型染めに必要なデザイン画(下絵)を作成することです。
したがって、図案家は、手描き友禅の作家でも染織職人でもありません。

成願が40年前に描いたの手描き図案の写真です。右の色鉛筆画は左の着色図案の上につながります。これを型製作所がトレースして型紙を製作しておりました。ちなみにこれは趣味性の高い「絵羽小紋」のデザインです。

余談ですが、型友禅の生産システは、浮世絵の分業制と似ています。浮世絵では「版元」が企画して、それを「絵師」に伝えて絵師が描きます。できた絵を元に「彫り師」が版木に色数分の版型を作ります。最後に、完成した版木を使って「刷り師」が紙に印刷するのです。着物では一般的に、版元はメーカー機能のある産地問屋、絵師は図案家、彫り師は型製作所、刷り師は染工場となります。

近年、「着物のデザイナー」という言葉から「手描き友禅の作家」と誤解されることが多いですが、手描き職人の多くは図案を自ら描くことができません(描ける方もいます)。
そのため、図案家の中には、手描き友禅の下絵(線画)を専門に手がける方もいらっしゃいます。

さらに言えば、他のファッションアイテムとは異なり、生地や形、仕立て方がほぼ一定である着物において、「着物のデザイン」とは主に「色・柄」のテキスタイルデザインを指します。

明治以前、絹の着物の図案(下絵)は、円山・四条派や琳派の絵師たちが余技として呉服商などから依頼を受けて描いていました。
明治時代に入り、庶民の絹物需要が高まると、型友禅の下絵を専門に描く絵師が求められるようになりました。これをきっかけに、日本画家から転身した絵師たちが、着物や帯の図案を専門職業とする図案家として登場しました。
これが、私たち京都の図案家のルーツです。


型染めと図案の進化

型染めには型紙が必要です。初期の型紙は、図案をトレースし、型専用の特殊和紙に手作業で彫って作成していました。しかし、その後、型紙は「写真製版手法」によって図案をトレースし、それをフィルムに感光させて作成する方法が採用され、現在では図案家が作成したデジタルデータを元に製版されています。

写真製版で作られたスクリーン型

近年、型染め職人の減少に伴い、インクジェットプリントという新たな染色方法を採用する工場が増え、これが主流となりつつあります。
この方法では、図案はデジタルデータ化されている必要があります。

インクジェットプリント

伝統を守りながら、時代の変化に対応する図案家

私たち図案家も、時代のニーズに合わせて、『手描きのアナログ図案』から『パソコンで描くデジタル図案』へと移行してきました。

織物の図案(帯、紬、白生地など)も同様に、製造方法の進化(手織りから機械織り)によりデジタル化が不可欠となりました。


なぜ着物のデザインが重要なのか?

着物は素材や形がほぼ決まっている衣装です。
よって、着物が「売れるかどうか」は、消費者の好みを反映した色柄、つまりデザインによって決まります。
消費者にとって『色柄』は『染織技法』以上に重要なのです。

私も妻と色柄にこだわり、着物を着ています。

和装市場は、手作業を施した「工芸品」と、大量生産を目的とした「工業製品」に大きく分けられます。和装市場を支えているのは工業製品であり、流通する商品の7割以上が量産品です。


図案家の育成と課題

明治以来、図案家の育成は現役図案家による徒弟制度が主流でした。
しかし、図案家として一人前になるには最低10年を要し、その過程を企業が担うことは困難でした。そのため、図案家育成は個人に委ねられました。

京都の着物産業が分業制であることはご周知の通りですが、本来、「デザインの重要性」を知るならば、自社のオリジナルデザインを生み出す図案家は、専属として抱え込みたいはずです。
それは、江戸時代の浮世絵同様で、蔦屋重三郎が歌麿を抱え込んだように、市場規模が大きいうちは図案家を専属のように抱え込み、オリジナルデザインを売りにしていた頃もあったのです。

ところが、不況になると図案家の生活を保証することができなくなり、図案家も同業他社、つまりライバル会社のデザインも手掛けなければ生きていけなくなりました。
よって、昭和50年代後半ぐらいから、量産品に限っては、この業界はデザインによる他社との差別化を諦め、デザインは「売れ筋」と言う名の魅力に乏しい物が増え、技術の特殊性、希少性、生地の特別性などの消費者が本来直接求める価値とは違う価値観を付加価値として着物に込めざるを得なくなり、悪循環にハマってしまいました。

デザインを重要視しなかったことが墓穴を掘ることにつながった。

着物業界が方向を間違えたのは、職人中心のものづくりの価値基準で着物を捉えたことにあります。
つまり「希少性」「技術の特殊性」「生地の特別性」「作家の名前」「芸術性」などの、本来消費者が求める「ファッション性」から遠ざかってしまったのです。
ファッション性で最も大切なデザインが蔑ろになっては、おしゃれな女性は敬遠します。
その結果が現在の市場規模です。

そして、職人は減少し続け、手描き職人どころか型友禅の工場からも人がいなくなっていったのです。
そこで図らずも職人に変わって登場したのが、インクジェットプリンターです。
ここで、また業界は2度目の間違いを犯してしまいます。
インクジェットプリンターで、希少性の高い高価な工芸品とも呼ばれる染色品のフェイクを作り始めたのです。
「偽の絞り染め」、「偽の手描き友禅」これらを安価に市場に出したので、インクジェットプリントは「偽物や紛い物の印刷機械」と言うレッテルを貼られ、自ら立場を悪くしてしまったのです。
最悪なのは、本物の伝統工芸品にも悪い影響を与えてしまったことです。

私は、最初、インクジェットプリンターが出現した時、別の意味でインクジェットプリントはこの業界の救世主だと歓喜しました。
なぜならば、インクジェットプリンターなら、手描き友禅や型友禅、その他の手工芸では表現できないデザインの世界が表現可能になり、新たな着物ファンを創出することにつながると思ったからです。
・・・・・ところが・・・です。
一番やってやいけないことを業界はやってしまったのです。
そして、後にインクジェットプリンターに頼ることになるのに・・・・・
一旦、低評価を受けたものの評価や価値を上げるのは大変だと言うことは、想像の通りです。

私は当初、「インクジェットだから高価」な商品もあっても良いと思っておりました。それはデザイン価値を高めることにより可能になるからです。

時代は以下のように大きく変化しています。
⚫︎技術と機能を買う時代

⚫︎デザインを買う時代

⚫︎コンセプト(スタイル)を買う時代

⚫︎感動価値を買う時代

着物は不易流行を最も表す商品です。



「守るべきこと」と、「新しくすべきこと」があるから時代の流れと乖離せず、置き去りにされず、産業として生き残れるのです。

不易流行の「不易」は、変わらない本質的な価値や真髄。
時代が変わっても、普遍的に守 るべきものや変わらない要素を指します。
そして「流行」は、時代や状況に応じて変化す るもの。つまりその時代の大衆に支持される物事、その為の表現方法などがこれにあたり ます。


終わりに

日本の伝統デザインは、衣食住の分野で国内外の注目を集めています。
日本文化は、サブカルチャーから海外の多くの人々に知れ渡りましたが、これからは、本物思考のメインカルチャーが求められ始めています。
つまり、伝統の「不易」を継承した上に現代の大衆に支持される「流行」が合わさることにより、世の中に受け入れられ継承されていくのです。
つまり「不易流行」が重要なキーワードとなります

私は、伝統の型を基軸に、「不易」を学んでいただき、若い世代に図案の知識と技術を伝え、プロとして活躍できる基礎を伝えたいと思っております。
その上に「流行」が加味されて初めて感動価値が生まれるのですから。

ご関心のある方、協力いただける企業様からのご相談をお待ちしております。

着物デザイナー 
伝統デザイン研究家

(株)京都デザインファクトリー代表取締役社長
成願義夫
https://www.jogan-kimono-design-school.com/

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成願 義夫(ジョウガン ヨシオ)
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