伊藤若冲が描いた「同じ脚」の意味を推理する。
ある時、若冲のこの2枚の鶏の絵を見比べていて、発見した事があります。
それは鶏のポーズが違うのに、よく見ると足の形がほぼ同一であるという事です。
普通、こんなことはあり得ないのですが、ある仮説を立てるとあり得る話になります。
これについて、私は以下のように推理しました。
そもそも若冲は「奇想の画家」と言われる通り、彼が描く絵の世界は空想の世界です。
でも、そこに描かれる生き物や植物はとても生々しいリアリティーがあり、
まるで写実画のようです。
特に若冲が描く生き物がとてもリアルなのは、日頃、生き物の写生を繰り返し行っていたからです。
彼の作品の特徴は独自の奇想世界を生み出すため、空想の世界を描きながらも生物のディテールは写実的であること、つまり若冲の絵を一言で表すならば、「写実的空想画」です。
彼は、頭の中にある生き物のパーツを組み合わせて若冲の空想世界に住む生き物を創造しています。
そして、時には膨大な自分の写生帳の中から鶏のディテールを確認しつつ、そのまま写生帳のパーツを組み合わせることもあったのだと思います。
このやり方は、よく考えてみると、私と同じです。
私は、着物のデザインをする場合、オリジナルのデザイン素材をたくさん保存していて、仕事の効率化を測るため、保有する素材の組み合わせ、または、部分的に素材を使用しながら新たなデザインを制作することが多いのです。
今回の2点の作品は、別々の日に描かれたものだと思います。
その基となる足のパーツは写生帳の中に膨大に有り、以前どれを使ったかを忘れ、後に描いた絵の鶏に、たまたま同じパーツを使ってしまったのだと思います。
リアルにこだわる故に、細かなディテールを写生帳で確認してしまう。
これも完璧主義の若冲の性格のなせる技だったのだと思います。
さて、この2点の鶏の作品は、どちらを先に描いたのかは判りませんが、若冲本人もそれに気づかず描いてしまったのでしょう。
先に描いた方は既にどこかに納品しており、後から描いた絵と見比べられなかったのでしょう。
そしてもう一つ考えられることは、同じ素材と知りつつ意図的に使った可能性です。つまり「若冲が好きな脚」だったのかもしれません。
多くの人は今回の私のように細かく見比べたりしません。
まして、元々オリジナルであれば、そのことをとやかく言われるはずもなく、それぞれの作品に不自然さがなければ問題にならないのです。
これは、あくまでも私の独断的推論ですので、異論反論はご容赦ください。(笑)
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