江戸時代のファッションとビジネスの関係
ここに紹介する着物(小袖)は江戸時代のものだ。
アシンメトリーで大胆な動的コンポジション。
きっちり余白も活かされている。
江戸時代のファッションセンス、素敵だ。
とにかくカッコいい。
江戸時代、太平の世が続き、町衆たちの経済力が高まることで、庶民の暮らしは豊かになり衣装も男女共に派手になっていった。
裕福な商家の婦人は衣装くらべに興じ、娘を美しく着飾って見せびらかしたそうだ。
特に豪華な刺繡(ししゅう)や絞りで飾られた元禄期の小袖は、王朝文化への憧れから雅で華やかな模様が流行した。
260年間の平和がもたらした、江戸庶民のファッション。
特に、元禄時代(江戸中期)以降のそのデザインセンスの良さには驚かされる。
当時、ファッション以外に庶民が熱狂し、流行し発展したその他の物事は?
芸能観劇、旅行、食道楽、贅沢趣味、狂歌、習い事・・・・・等々。
平和が続くと庶民のやることは今も昔も変わらない。
江戸幕府は、財政難や米の不作を理由に「奢侈禁止令」を何度も発令しているが、それをも江戸庶民は逆手にとって『四十八茶百鼠』という茶と鼠色のおしゃれを流行らせ、裏や中着にお金をかける「裏勝り」を流行させた。
そして、江戸は何度も大火に見舞われたが、復興に必要な職人などが他国から流入し人口が増え江戸の街は大火の度に大きくなっていった。
この逆境を跳ね返すポジティブシンキングが更に江戸庶民を心身ともに豊かにしたと言える。
特筆すべきは、この時代に後に日本の財閥になる成功者が続出していることだ。
そして江戸時代、武士道に続き、商人道が確立した。
石高制(こくだかせい)から貨幣経済へ
市場経済が成長すると、信用取引が確立するようになる。
それらは巨大なマーケットとなり、大阪の豪商、「淀屋」や「三井」「住友」「鴻池」など、後に財閥になるような商売人達が続々とが生まれることになる。
ご存知のように、徳川幕府は,幕藩体制の財政基盤として,徹底した米本位制度を実施した。 いわゆる石高制である。
石高制の下では,藩の規模から武士の給与に至るまで, 全てが米の生産能力で表され,これに基づいて年貢が課税された。
そこから必 然的に,各領主は,自家消費分を除いた米を販売し、貨幣に替え、その代金であらゆる物を購入することとなった。
それが市場の形成を促し,貨幣経済を発達させたとも 言えるし,逆に,貨幣経済が整っていたから,米本位制度を実行できたとも言える。
そして時代は次第に両替商などの金融や大阪堂島の米相場などの先物取引など、現代に通じる市場の発展へとつながっていったのである。
これら、市場が発展した一番の理由は、やはり260年間、他国から侵略されることもなく、平和が継続したことにある。
和文化ビジネス思考講師
呉服繁盛店の作り方アドバイザー
成願義夫