商を圧倒して王朝交代と遂げた『周』は、後の秦と同様に西方の遊牧民族集団が中核となっている部族連合の有力者の印象がある。
最近の研究では、夏、商(殷)、周の古代歴代王朝の出身民族に関して、歴史家の岡田英弘氏の説を始め 同一民族では無かったと見る説も多い。 確かに、最初の王朝『夏』は南方系の東南アジア系民族の匂いがするし、その次の『商(殷)』は山東省寄りの東夷を勢力基盤とした部族のように感じる。
古代黄河文明による王朝の華やかな中心領域をいつしか人々は憧れを込めて、『中原』と呼んだ。 伝説上の最初の王朝、『夏』の実態はまだ、解っていないが、想像するに黄河中流域が多くの部族国家か都市国家に分かれていた頃の旗頭的な王家だったのだろう。