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『地面師たち』ハリソン山中はなぜ人を殺すのか

 話題の『地面師たち』(大根仁監督 Netflix)を観た。噂どおりの面白さ。スピード感ある展開と先が読めないストーリー。そしてこの社会の怖さ。そのようなものを感じた。

 本稿はタイトルのとおり。
 なぜハリソン山中(豊川悦司)は簡単に人を殺してしまうのかについて考える。
 そしてタイトルは『少年たちはなぜ人を殺すのか』(宮台真司・香山リカ)を意識している。
 宮台先生への想いを込めて。

 以下、ドラマ『地面師たち』のネタバレを含む。
 そして宮台言説を用いての推論となるため、『地面師たち』をより深く楽しめるとともに、宮台社会学の一端に触れることができるという、とてもお得な記事となっている。
 もちろん本稿への批判や間違いのご指摘などいつでもお待ちしております。



⬛︎詐欺罪から殺人罪へと刑期を重くする

「神保×宮台 マル激トーク・オン・ディマンド」で『地面師たち』を取り上げた。

 両者絶賛しつつも、「ハリソン山中をサイコパスに描いたのが納得いかない」とのことだった。
 巨額詐欺の良さは、詐欺罪での刑務所暮らしの年数に対してリターン(プールしたお金)の大きさにある。
 数十億円のために10年以下(初犯で3年くらい)の刑期くらいどうってことない、捕まらなければ大笑い、というわけだ。
 だが人を殺してしまってはこのリターンが割に合わなくなる。
 宮台先生はそのように指摘している。

 僕はそれに対して即座にこう思った。
 ハリソンはそもそも社会に興味が無いだけでしょ、と。

⬛︎地面師に興味が無いハリソン山中

 ハリソン山中は作中、「人を死ぬところを撮影するのが好きな変態野郎だ」と語られている。
 ハリソン山中の異常さは辻本拓海(綾野剛)とハリソン山中が初めて会ったシーンでも印象付けられる。
 高級デリヘル嬢の首を絞めて殺し掛けてしまったハリソン山中だが、まったく慌てる様子は無く、むしろ日常の続きのような異質さを感じる。
 そしてもう一点。興味が、殺し掛けてしまった女よりも拓海へと移り変わるのもハリソン山中の異質さと怖さを我々に印象付ける。
 彼は我々が当たり前だと思って生きているこの日常には生きていない。

 そのヒントは冒頭にすでに描かれている。
 狩猟を楽しむハリソン山中。
 ガイドが巨大な熊に食い殺される。
 やがて熊はハリソン山中に向かって突進してくる。
 一発目の猟銃射撃は外れる。
 そして。ギリギリ目の前で立ち上がる巨大熊を射殺する。

 彼は失敗するかどうかギリギリまで引きつけ、あるいは仲間が窮地に陥るのを眺め、そして勝つのが好きらしい。
 その最たるものがホスト殺しを見過ごす展開だ。

 ホスト楓(吉村界人)の沖縄をガイドする人物とすり替わっていた竹下(北村一輝)は、110億円の詐欺を台無しにすべく楓を刺殺する。
 その後竹下はすぐさまハリソン山中の別働隊の暗殺チームに拉致される。

 もし詐欺を成功させるのが最優先であれば、沖縄ガイドが竹下に変わっている時点で手を打ったはず。
 拓海たちは予定どおりトラブル無く詐欺を働けただろう。
 でもハリソン山中はそうしなかった。
 竹下が何をしたいのか見届け、そして拉致し、何のためにそんなことをしたのか聞き出し、そして殺した。
 彼が怒りのまま踏み殺したのは、詐欺を邪魔されたからではない。竹下を殺すタイミングが竹下のせいで早まったからではないか。
 もしかしたら日本で竹下を殺すための準備や方法が用意されてたのかも知れない。

⬛︎脱社会的存在

 竹下のせいで起きた最大のピンチを乗り切った地面師チーム。
 これにはハリソン山中も喜んだだろう。
 ギリギリのピンチで熊を撃ち殺した時の快感と似たものを感じていたかも知れない。

 宮台言説を借りれば、ハリソン山中は「脱社会的存在」だ。
 「社会的存在」でも「反社会的存在」でもない。反社会的存在は、この社会に対して反発しているため、軸は社会にある。つまり広い意味では反社会的存在も社会的存在に含まれる。

 だが脱社会的存在は軸が社会にない。
 そのため社会の規範が通用しない。
 それこそ、死ぬ間際の最高の顔が見たいという程度の理由で人を突き落とせるだろう。

 以上をまとめる。
 ハリソン山中はこの社会を生きていない。
 ハリソン山中はギリギリのスリルを楽しむ。
 ハリソン山中は脱社会的存在のため、人の命を自身が楽しむ要素としか思っていない。

 これが僕の考える「なぜハリソン山中は人を殺すのか」に対する答えだ。

 彼が何十億円も所有していながら狩猟をし続ける(つまり豪遊する気がない=社会の価値観を生きていない)のは上記のような理由だろう。

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