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『ブラッシュアップライフ』と哲学的深度



『ブラッシュアップライフ』が終わってしまいました。
人生をやり直すというSF要素が様々な考察を生み、見ているだけで楽しくなってしまう会話劇も魅力でとても愛される作品です。

人生をやり直したり、時間をさかのぼって危機を回避する、というようなSF作品は多く、有名なものだと『時をかける少女』や『バタフライ・エフェクト』が挙げられます。
『ブラッシュアップライフ』のおもしろさのひとつに、人生をやり直したことで当時は見えていなかったもの(人間関係など)が見えてくる、というものがあります。
幼少期は気付かなかったけど大人の目線で見ると不倫しそうな男女に気付けたり、その場の雰囲気と盛り上がりで上手く聞こえていた友人の歌声がそうでもなかったり、という具合に。

「徳を積む」という目的を持って人生をやり直している近藤麻美(あーちん。安藤サクラ)は、経験を踏まえて不幸の芽をあらかじめ摘むという方法で徳を積み重ねていきます。
人生をやり直せない(と思われる)我々は、近藤麻美や宇野真里(まりりん。水川あさみ)の振る舞いや人生観からいろんなことを学んだと思います。
本作を見終えて自分自身を見直す契機となった方も多いことでしょう。

この記事では、
・最終回を終えての感想
・「徳」とはなんだったのかについて
・河口さんの怖さについて

以上の3つを書きたいと思います。

以下ネタバレを含みます。


■ 最終回の感想


毎回とても楽しく視聴しました。特に第7話ラストに宇野真里が発した「何週目?」という言葉から一気に作品の色合いが変わったように感じ、かなりのめり込みました。それ以降早く次が見たいけど終わって欲しくないという相反する感情に身もだえしました。
そして期待と不安を抱えたまま迎えた第10話は見事な大団円でした。
第9話終盤の浅野忠信登場という不穏さを演出したフリからのまさかのスカし展開。しかも先輩風を吹かせたダメ出し。本人の居ないところで近藤麻美と宇野真里がダメな点を言い合ったのは寛(田中直樹)からの教えを守った成長と呼べるのでしょう、きっと。

そして最終章の目的だった航空機事故を救うという最大ミッションをクリアし、あとは地元の友達と過ごした映像が流れるという視聴者へのご褒美のような最終回でした。
CDアルバムのボーナストラックみたいだなと感じました。

ラストは第1回の冒頭と同じように鳩4羽が映され、近藤麻美達仲良し4人組の来世かと視聴者に感じさせて幕を閉じました。
年老いた妹がこの鳩たちを眺めていましたが、彼女からは「4羽並んで仲良しだ」と微笑ましく見えるだけなのに対し、視聴者からは4人の来世のようにしか思えないというのが憎い演出です。
このように、このドラマを見た後は、生き物と印象的な出会い方をした際に「前世はなんだったろう。来世はきっと希望通りになるよ」と心の中で思ってしまうでしょう。

そう考えると第1話冒頭の鳩も、もしかしたら誰かの命を救った人たちが選んだ来世の姿なのかも知れません。

最終話で印象的だったのは、多くの命を救ったことを大げさにしないで日常に戻る、という部分です。
救ったことを大々的に発表しないし、女性パイロットを続けるわけでもない。
それぞれ1週目に過ごしていた人生を再び歩み直します。
そして老後は宇野真里も近藤麻美もそれぞれの1回目の人生で約束していた「みんなで老人ホーム」という夢を叶えて生涯を終えました。

視聴者自身の生き方や人間関係の構築の仕方を自ら問い直したくなるような素晴らしい作品です。

■ 『ブラッシュアップライフ』での「徳」の意味


このドラマの前半のキーワードである「徳」について改めて考えてみたいと思います。

死後案内所の受付係(バカリズム)の説明では「今世の徳が来世の生物に反映される。徳を積むことで希望の来世に近づける」ということでした。
近藤麻美は最初がアリクイ。その後サバ、ウニ、人間と変化していきました。
宇野真里は最初がアリクイの近くにいるアリ、5回目の人生を飛行機事故で閉じた際はフナムシだったそうです。
近藤麻美が来世で人間になるチャンスを得たのは、ストーリーを追っている限りでは研究医だったことが大きく影響していると受け取れます。

近藤麻美3回目の人生ではテレビドラマに関わる仕事をして、多くの人に感動を与えることで徳と積むという方法を取りましたが、結果的に来世はウニだったわけで、徳には「救われた人数」と「関わった人数」が影響しているのかも知れません。
研究医の時は小さいながらも論文を定期的に発表しており、近藤麻美のおかげで救われた命があります。
ドラマの場合は関わっているスタッフや出演者が多いため、近藤麻美のおかげというよりはドラマ関係者全員の手柄という具合に分散されてしまいそうです。

その後パイロットになった近藤麻美は「もしかして自分が医学の発展を遅らせていたのではないか」と悩みましたが、それは心配しなくて良いでしょう。
なぜなら4回目の人生を終えて人間になるチャンスを得たわけですから、その時の人生は紛れもなく正当な評価を得た徳だったと言えます。
そしてその希望する来世を捨て、次が最後のやり直し人生だと分かった上でもなお今世を選んだ、というところに彼女のすごさがあるわけです。
そして視聴者はそのすごさ(同時にそれは宇野真里のすごさでもある)に対して胸を打たれたのです。

深読みすると、「来世も人間になりたい」という利己的な動機による振る舞いでは徳を積みにくいのかも知れません。
悲しみに打ちひしがれながらも医学に貢献し続けた利他的な振る舞いが「来世は人間」という当初の希望を実現させました。
5回目の人生では180人の乗客を救い「他の生き物で良いから北熊谷が良い」という希望通りに「北熊谷の鳩」に生まれ変わったのだとしたら、しっかり徳を積んでの大往生だったと思われます。

次は宇野真里の人生から「徳」について考えてみます。
彼女こそ本作では利他的振る舞いの象徴と呼べる人物でしたが、5回目の人生を終えた時にフナムシを提示されていることを考えると、やはり「救われた人数」が来世に大きく影響しているようです。
アリからは出世(?)しているように思えますが、5回目の人生で航空機事故に遭ってしまったために「救われた人数」が増えずにフナムシ止まりになってしまったということでしょう。
※便宜上フナムシへの虫権(虫の人権のようなもの)に対し冒涜するような表現になってしまったことをお詫び申し上げます。
※実際にこれで抗議が来たら面白い(面白くない。怖い)。

その後6回目の人生で念願の飛行機事故を回避したことでフナムシを免れ、おそらく北熊谷の鳩に生まれ変わったのではないでしょうか。

■ 河口さんの怖さ


第10話でファインプレーを見せた河口さん(三浦透子)についても語らざるを得ません。
(それにしてもあーちんの喜ぶ姿は毎回愛おしいですね。なっちとみーぽんに一緒にお茶しないか聞いた後とか)
毎回市役所勤めの人生を過ごし、9回目の人生でキャビンアテンダントとなった河口さんですが(市役所勤務年数336年)、本当に何年も生きているかのような佇まいは女優三浦透子の凄味を感じさせます。

さて、河口さんの怖さについてですが、みなさんもこう考えたことがあるでしょう。
「もし河口さんがこの後人生をやり直しちゃったらどうなるんだろう」と。

我々が見たドラマでは近藤麻美と宇野真里は90歳の大往生で最後のやり直し人生を終えて来世へと旅立ちました。
一方、河口美奈子は9回目の人生でキャビンアテンダントになりこれまでと違う経験をしながらも市役所に戻ってきました。その後おそらくいつもと同じような時期に死を迎えたことでしょう。
もし9回目の人生を終えたあとに死後案内所で「やり直せますよぉ」と言われたとしたら。

ここで哲学的問題が急浮上します。
河口美奈子10回目の人生に登場する近藤麻美は一体誰なのか、ということです。
3つのパターンが考えられます。他にも「こういう哲学的思考がある」という方はぜひコメントください。

【パターン1】存在しなくなる
 来世へ旅立った人物は今世には生まれてこなくなる、というパターンです。
 この場合、10週目の人生である河口さんは来世へ旅立った人物たちと何度も別れてきたことになります。「前に居た人が居なくなってる。来世へと旅立ったんだな」と。
 第8話で何週目かぶりに再会(正確には初対面ですが)した時に河口美奈子は「途中で近藤麻美が居なくなったからタイムリーパーであると気付いた」という内容の発言をしていたかと思います。
 これには「別の人生を歩んだ」という意味と「来世に旅立った」という意味の2通りのメッセージがあったとも読み取れるのではないでしょうか。
(セリフを確認できないため間違いがありましたらご面倒だとは思いますがご指摘いただけると大変助かります)

 そしてその存在しなくなった人物のところには前世で徳を積み人間になれた生物が別の存在として埋め合わせられるのかも知れません。

【パターン2】魂は別
 これはパターン1と近いものです。
 近藤麻美という人物は生まれているが、それは我々が見てきたような数百年の記憶を持っているあのあーちんではなく、まっさらな状態で生まれた新たな近藤麻美である、というパターンです。
 その後河口美奈子は市役所で近藤麻美と出会うわけですが、人生やり直しの話をしてもまったく通じないため河口美奈子は悲しい思いをすることになるでしょう。あの近藤麻美はもう居ないのかと。

【パターン3】本人
 これはパターン2とは正反対で、本人であるというパターンです。
 つまりやり直せる回数が多い人だけがこの世界の人生を定めることができる、ということになります。
 4人で老人ホームで暮らすまでの感動の最終回を迎えたはずが全て無かったことになり、やり直しになってしまう。
 河口美奈子が人生をやり直す度に近藤麻美と宇野真里は毎回「もうやり直すことが出来ない。この人生が最後である」と決意しながら飛行機事故回避ミッションに挑み続けます。
 彼女たちはそれぞれ5回目、6回目の人生を、河口美奈子だけがやり直し回数を増やしているのだと気付かないまま延々と繰り返します。
 近藤麻美と宇野真里はやり直しになっていることに気付けないため、何も問題ないと言えば問題ないでしょう。
 いや。大きな問題がありました。
 9回目の人生でたまたまキャビンアテンダントになったからキャプテンは毒を盛られることが無かったですが、10回目以降はきっと市役所勤めをし続けるでしょう。
 そうなると飛行機の操縦士は変更されることが無くなってしまうのか。
 いやいや。河口さんのことだから市役所に中村キャプテン(神保悟志)が来た段階で、これまでの蓄積された恨みをぶつけ不倫がバレるように仕向けたりするはず。
(ご都合主義過ぎるけど)

 もしパターン3だった場合、考えれば考えるほど世界が激変していきます。
後から人生をやり直した人によって世界が様変わりしてしまいます。
 我々が4人が仲良しになったり老人ホームで4人で過ごしているのを見ることができたのは、もしかしたらすごい確率の低いことだったのかも知れません。

■ まとめ


このドラマのことがとても大好きです。
笑いあり涙あり、というのをここまで高度に構成したバカリズムさんと、とても丁寧に作り上げてくださった製作者スタッフのみなさん、そして見事に愛すべき人物たちとして演じてくださった出演者のみなさん。すべてのみなさんに感謝いたします。

個人的には哲学的思考や道徳観などをビシビシ刺激してくださったのがとても気持ち良かったです。
この作品は見る人によって感情を刺激されたり知的好奇心が刺激されたりと、様々な反応を呼び起こしてくれます。
細部にまで意識を向けることで発見や推測が生まれたり、軽妙なおしゃべりのシーンの心地良さは音楽のセッションのように耳になじみ身を委ねることが出来るでしょう。

僕はこの作品から受けた刺激を文章にしてnoteに投稿し、このただ1回きりの人生を味わい尽くしてくださる方が一人でも増えることを願います。
最後までお読みいただき本当にありがとうございました。

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