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はじめさんからイソップさんへ~農業複業化プロジェクトに繋がる系譜

今回は少しパーソナルな話も織り交ぜつつ、時空を超えた農業複業化プロジェクトに至るまでの軌跡を追います。

  1. 二拠点農ライフの宿泊事情

  2. 「はじめさんの家」に泊まる

  3. はじめさんの取材記事を発見!

  4. はじめさんがいて、イソップさんが在る

  5. 内山で農を営むということ

1.二拠点農ライフの宿泊事情

二十四節気の「穀雨」を過ぎ、今年も足繁く内山に通う季節がやってきました。田んぼ作業のときはだいたい1~3泊しています。昨年は佐久・小諸地域で、将来の移住を見据え、定宿は押さえつつ、なるべくいろんな地区に点在する宿泊施設を利用してきました。その方が農作業以外に地域のことを色々知れるし。

農作業、特に田んぼしごとは泥だらけになります。長靴、麦わら帽子から夏場は午前・午後で着替えが必要だなとか・・・結構荷物が増えます。
自家用車があれば荷物の移動は楽ですが、東京生活も四半世紀を超えた私には無用の長物。それに、家から運転して行くよりも、往復の新幹線で本を読んだり、(稀に)仕事したりもできるので、現状の移動方法はそれはそれで気に入っています。
ということで、毎回自宅でフル装備を45Lのリュックにパッキング、現地でアンパックを繰り返していました。

愛用のpatagonia Tres Grande 45L、これでもかっ!っていうくらい荷物入ります

農作業後の泥だらけの衣類は、できれば宿泊先で洗濯したい。コインランドリーという手もありますが、選択の間、コインランドリーでボーっと黄昏てるのもナンなので、昨年は乾燥機付き洗濯機常備のコンドミニアムタイプのお部屋のあるここを定宿にしていました。
https://www.oimatsuen.com/

泊まるところで料理ができるっていうのも重要です。毎回外食だと飽きちゃうし、そもそも車でご飯食べに行ったら飲めないし(苦笑)。農作業後はビール片手につまみをっていうのが理想形。
上記のコンドミニアムのお宿はその点ほぼ完ぺきでした。経済的な理由を除けば。
通えば通うほど、どこに泊まるか思い悩む日々がまた始まるのか~と思い、今年はどこか賃貸かマンスリーマンションを借りるか、昨年の定宿を継続するか・・・昨年に続き、今年も佐久・小諸地域での宿泊場所の手配に思い悩む日々でした。
ウダウダ言ってないで、さっさと移住すりゃいいじゃん!って思うかもしれませんが、諸事情により現在具体的な移住に向けたアクションは保留中。不動産屋を回って土地や中古物件を探したり、長野県内の地場の住宅メーカーのオンラインセミナーに参加し、その気になったりはしてるんですけどね(苦笑)。

そんなとき、昨年度の複業Pの反省会の場で、救いの手が差し伸べられたのです!
イソップさんのおじいさんが昨年亡くなられ、「空いているので、何かに使いたかったら使っていいよとは言われてるんだけど~」とイソップさん。
というわけで、3月に稲の育苗ついでに複業Pメンバー何人かで、そのおうちを訪問しました。

狛犬がお出迎え
現在の家主:みーちゃん
狛犬に迎えられ、玄関までのアプローチを通ると、ジャンルレスな置物の数々・・・
表通り側から俯瞰すると建屋の広さが分かります

「ひ、広い~!」

玄関からキッチンを臨む


テレビが遠くに見える・・・
広大な縁側(サンルーム)、お庭の草花木果が見渡せる素敵な場所
室内にもボーダーレスな置物が!

時折、イソップさんのお母さんが片付けなどで立ち寄られているため、日常生活には何も困らない状態に整っていて、今すぐ身一つで暮らせます(笑)。

ということで今回からしばらく当面の間、田んぼに来るときはこちらのおうちに泊めていただくことにしました!
まだ正式名称は決まっていませんが、とりあえず、おじいさんの名前(一:はじめ)を取って、「はじめさんの家」と呼ぶことにします。

2.「はじめさんの家」に、はじめて泊まる

まずはお骨が安置されているお部屋に入り、お供え物を置き、遺影に向かい、「これからお世話になります。よろしくお願いします。」と心の中で唱えました。
実ははじめさんが亡くなってから「はじめさんの家」に親族以外の他人が泊まるのは、私が初めてだったそうです(笑)。そこで、今回泊めていただくにあたり、料金体系とか、どこで寝るかとか、イソップさんとイソップさんのお母さん(はじめさんの実の娘)とで諸々相談してくれました。ありがとうございます。
お母さんとしては、「寝るところはここ(はじめさんのお骨と遺影があるお部屋)でいいんじゃないの?」ということだったらしいのですが、さすがにイソップさんが「それはちょっと・・・」ということで、私の寝室は2Fにあるお部屋の一つをお借りすることになりました。
夜になり、晩御飯は早速自炊することにしました。この日のメニューは下記の通り。メニューと出来栄えはさておき、それぞれのお皿、素敵だと思いませんか?

ツクシ(イソップさんの畑で収穫!)とコシアブラの炒め物
佐久鯉の洗い
信州牛ロース焼き肉とニラの炒め物

3.はじめさんの取材記事を発見!

独り自炊の常、料理を作りながら酒を飲み飲み、おなか一杯になり、昼間の農作業の疲れも手伝い、朦朧としながらテレビを見ていたら、壁に掛かっているあるものに目が行きました。

赤枠で囲ったところ!

なんだろう?酔っぱらってたので勝手に拝借して見てみると、印刷物(取材記事)でした。タイトルは、

「話し合いで解決できないことはない」
~ベトナムで戦争を経験した堀米一さん(93)への取材~


記事にはこんなことが書かれていました。

  • 人の欲は恐ろしい

  • 世界中どこでも戦争はいけない

  • 人間同士で争うなんて幼稚だ

  • 話し合いで解決できないことはない

  • 人の気持ちを理解しようとする努力、思いやりの気持ちが必要

昨今の世界情勢に鑑みて、身につまされます。
余談ですが、私の妻にこの記事を見せたら、「プーチンに見せてやりたい!」と憤っていました(苦笑)。

そんなこんなでこの日は終了~

朝、目が覚めると、みーちゃんがじっと私を見つめていました

翌日の田んぼ作業の休憩時にこの記事をイソップさんに見せたところ、はじめさんは内山地区の農協の組合長もされていたくらい、地域の顔役的存在だったそうです。私利私欲や損得勘定ではなく、地域のため、みんなのためを常に考えて行動し、時には自らが損を取っても地域のことを優先していたそうです。農業以外にも庭師、大工など、様々なしごとをしていた、まさに「百姓」だったそうです。

はじめさんが中心となりはじまった「佐久高原コスモスまつり」


今や有名な内山の秋のコスモス街道も、実ははじめさんの発案から始まったとのこと。その思いと行動のルーツは、戦争体験から来たものだったのかもしれません。

4.はじめさんからイソップさんに渡ったバトン

そんなはじめさんも高齢になり、ずっと営んできた農業を続けることが難しくなりました。そんな時、そのバトンを引き継いだのがイソップさんでした。
イソップさんのご両親は農家ではありませんでした。イソップさんもはじめから農家になることを志していたわけではなく、農家になる前は、国立公園や野外体験施設でネイチャーガイドとして自然の魅力を伝える仕事をしていました。
内山は、イソップさんが子供の頃夏休みを過ごした大好きな場所。そんな場所で、はじめさんが思いを込めて続けてきた農業そして里山の風景を守りたいと思ったのかもしれません。
イソップさんが佐久に移住し農家になってから今年で10年目。今でははじめさんから受け継いだ田畑だけでなく、内山地区で耕作放棄された田畑も新たに借り受け、販売作物を栽培したり、コミュニティ農園の運営、そして農業複業化プロジェクトを実施しています。

「自分のためだけでなく、地域のため、人のため」


いつの間にか(きっとイソップさんは戦略的にそう行動していると思いますが(笑))、田畑だけでなく、はじめさんの志をも受け継いでいました。

取材記事にも書かれていましたが、はじめさんは、太平洋戦争のときに海外出征先で、戦闘中に落とし穴に転落して気絶していたため、一命を取りとめました。その時に一緒に戦っていた同僚の中には、亡くなった方もいらっしゃったそうです。
もし、はじめさんが落とし穴に落ちていなかったら、イソップさんも生まれていなかったかも・・・
はじめさんが、佐久で農業をやっていなかったら、我々が今、内山でこうして農作業をしていることも、きっとなかっただろうと思うと、感慨深いです。

5.内山で農を営むということ

今年で2年目の農業複業化プロジェクト。昨年の田んぼに加え、イソップさんの尽力により、今年は新たに1反弱の元田んぼの土地をお借りすることができました。

緑の部分が今年開墾する田んぼ

前日にはじめさんの記事を読んでいたこともあってか、「耕作放棄地を農地に戻す」こと、それをこの佐久市内山の地で行うことの意味について、昨年とは違う思いが沸き上がってきました。
この土地も去年の土地も、持ち主の方が望んで耕作放棄地になったわけではないと思うんですよね。やむにやまれぬ事情があってのことではないかと。

この地域で戦後ずっと農業を営んできたはじめさんには、イソップさんという後継者ができました。
では我々農業複業化プロジェクトのメンバーは、この地に何を見いだし、何を思い、耕し、実りをいただくのか?みんなそれぞれの思いがあると思います。

私個人は、今回はじめさんの家に泊めていただき、はじめさんの思いの一端に間接的にではありますが触れることができ、より他人事でない、ご縁によるちょっとした使命感に目覚め始めています。

・・・と、ここで記事が終われば、今年も頑張るぞ〜!という未来への展望が開けた状態だったのですが、なんと、今年お借りした元田んぼ、ちょっとやそっとでは田んぼに戻らなそうなことが判明!
先日、開墾作業を複業メンバー何名かで継続し、耕耘機を入れて耕してみたら、休耕田の期間が長過ぎたのと、土壌の排水状態が芳しくなく、草の根が土中に深くみっしり蔓延っていて、ちょっとやそっとでは『耕しきれにない』ことが判明・・・

耕耘機で耕したところがドロドロ
写真見るだけで大変そうなのが分かりませんか?

2年目の複業プロジェクト、これからどうなることやら…


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