「社会課題解決型ビジネスが時流」って話はあたり前田のクラッカーなのか?
株式会社シンカの町井社長から送っていただいた「Eggs」という環境省の冊子を拝読していて、先日来、気になっている事柄に対するヒントがあってちょっと嬉しい。ちょっと長い文章になるけれど、自分の思考整理のためにも、また社員さんも読んでくれるかなって思うので、久しぶりに文章を書いています。最近、Twitterに軸足が移ってて140文字以上がつらい(苦笑)。
自治体に頼る時代は終わりなの?
先日、地域の未来を担う若い世代の企業人と地方自治体リーダーの集いを催した際にお聴きした「なんでも自治体に頼る時代は終わってる」というある自治体リーダーの言葉が耳に残っていました。
社会課題が深刻、輻輳化している時代にあってはビジネス領域での解決が最も望しい、という町井さんの視座。なぜなら、需給バランスで成り立つ企業活動により解決されることが最も持続可能なエコシステムになり得るから。
町井さんは
自治体が市民のために何をしてくれるかではなく、市民が自分たちの未来のために何をするべきか
自治体の機能を拡大すれば課題が解決する時代はとっくに終わっている
と、先述の自治体リーダーの「自治体に頼る時代は・・・」と同じ趣旨のことをおっしゃってみえます。
これを自分の立場に話を矮小化すると(笑)。ここ2年ほど、自分の会社が営利か非営利か、時々わからないなぁと感じる事業活動が増え、もともと非営利企業で社会人人生が始まったことや、「何のために働くの?」などという未だにアバンチュールな世界に身を置きがちな自分だけに、油断すると自分の会社が市場から弾かれてしまう危機感があるんですよね。
でも、これがなかなかしぶとい(もちろん、クライアント様に感謝です)。どうしてうちの会社ないし理念が、厳しい市場から排除されないのか?気がつくと「そっち」寄りを歩いているし不思議だったのですが、なるほど、わたしたちの会社はとある社会課題を追っていて、こういうのも企業活動の領域になりつつある時代だったんですね!(・・・といっても、町井さんは大企業のお話をされている、もしくは、もう少しスケールの大きな話なんですが。)
どうにも「ホジョキン」は古く感じる
先日、とてもモヤっとする出来事があって、詳細は省略しますが、要約すると社会課題解決に向けて内発的動機で取り組んでいるグループへの、自治体が新設した助成金(ホジョキン※)を勧める話。これ、どうしてもホジョキンが蛇足にしか思えず、いや、むしろ弊害すら感じていたんです。アンダーマイニング効果といって、内発的にやってる人たちの、むしろモチベーション下げかねない事象ではないかとか、いろいろと憤っていたんですが、このレポートを読んでいて溜飲が下がる思いです。
このグループにホジョキンを勧めたのは、とある企業さん(の社員さん)。その企業さん自体は前々からこのグループの取り組みに支援をおこなっておられました。ただ、関わりの様子を観ていると、自社の利益(つまり、支援が自社のイメージアップになるなど)が優先されているようにも感じていました(あくまで私見ですが)。そして今回、「わたしたち(=その企業さん)の支援には上限があり、その代替案としてホジョキンをお勧めする、私たちと一緒に申請しよう」という話が持ち込まれたのです。
一見、問題があるようには見えませんね。そうです、あくまで感覚的なものなのですが、自治体と市民の関係や社会課題の解決方法がアップデートされてゆくこの時代に、ホジョキンというもの制度自体がフィットしていないように感じるのです。やりたいことは自分たち(市民)でやったらいいし、やれてると思うし、ひとたび企業が絡むことができたら、それはビジネスとしてアプローチしてみたいなって思うのです。
※補助金のすべてを否定する意図もなく、また、使いどころによっては当然有益で、さらには過去の時代における補助金の役割と、これからの時代のそれとの区別をつけるために「ホジョキン」としてみましたよ。
「共感」のほうが好き
一方で、支援者のひとりであるわたしや、活動をおこなっているグループのメンバー自身も、この活動に共感する人たちが増えていることを知っていて、寄付とかクラウドファンディングとか、そういったものが支えるのも(苦労を承知で)いいなと考えています。つまり、ホジョキンよりも共感によるもののほうが未来思考で好きなんです。(ああそうか、感覚的に好まなかったのは、単に好みの問題だったのか。)
町井さんは、社会課題を解決する企業活動を支える要素のひとつに消費者意識の変革をあげており、それはすぐには難しいことだが、ITなどのテクノロジーによるシェア、拡散力などが企業の背中を押しているとご指摘されています。
そして、
少なくとも日本の若者は、単に働くということに生きる理由を見いだせないから、社会的に良い事業をしたい、そういう取り組みをしたいというような企業にこれまで以上に魅力を感じて集まる傾向が強まるのは間違いない
ともおっしゃってみえます。この点について、わたしは「共感」という言葉に集約してみたいなぁと思っています。
「利他」って古い言葉だけど新しい
また、今はまだビジネスにはなっていない社会課題解決への取り組み。それに対する支援がなされる時、それは「利他」であってほしいなと。先のグループの活動についても、すでに支援している方々の多くは利他の心で関わっていて、「何々してあげている」などという考えは小さい筈なんですね。
ただ、それは共感で関わっている方々に限ってで、先の企業さんのように自社の利益のためにということが優先されていると、ちょっと見え方が違ってしまい、どうしても「してあげている」感が強くなってしまうのではないかな。
こんなことを言うと、「企業が自社の利益を追求して何が悪い、しかも支援までしてあげているのに!」という声が聞こえてきそうですが、まさにそこが問題で。
利益を追求するよりも社会的に良い事業をしたいと考え、それが生きがいであるとまで主張する若者たちがいること(わたしの身近にもいました)。社会的に良い事業活動をおこなっている企業が少なからずともあるという事実(わたしたちの会社が少しそう)。そして、両者が出会った時、互いに共感が生まれること。その共感により利他の心が芽生え、それが次第に社会全体に広がってゆくこと。こうした事象を繰り返すことで、いつか町井さんのおっしゃる「消費者意識の変革」までもをもたらすのではないかな。
それに対してホジョキンというものはどうだろう。わたしが観てきたホジョキンはこの仕組みからは外れているように思います。自治体が活動に共感して、というのも一理あるのですが、それでもどこかしら違和感を感じています。今回のことでも、そのグループの活動に共感した企業が一緒になって参画する利他の心があることが理想であって、そこに共感がないから、安易にホジョキン話がでてくるのでしょう。
ホジョキンというのは、共感に基づいた利他による支援が薄まり、一方で「してあげた」「してもらった」感が強まる代物で、利他の心からすればとても縁遠く付き合いにくいもの。ただ、これはあくまでホジョキンの一側面であり、ホジョキンとの良い付き合い方は必ずあるので、あくまで今回の出来事だけの話としておきます。
補助金のあり方についてはまだまだ勉強が足りず、間違ったことを書いているかもしれません。また、補助金全般というよりは、個別事象においてと言い直したほうが適切です。ですので、やはり「ホジョキン」です。ただ、自治体は今一度、サポートすることで課題が最適化するか否かを少し精査すべきかもしれません。あ、ちなみにこの話、自治体が制度を「市民」と創り、「市民」が勧めているんですけどね。市民専門委員という立場の「市民」が。なお、何を隠そう私もその市民専門員なんです(爆)。このあたり、わたしは形を変えた公共事業だと思ってるのでここではイコールで捉えています。
これまでなかなか思考の整理がつかず、これらのことについては黙るしかなかったのですが、これで少し語れるかもしれない、そんな勇気が芽生えました。地域での消費者意識の変革や良い人材の確保のためにも、安易に補助金(ホジョキン)にベクトルを向けるのではなく、ビジネスとして社会課題の解決を目指したいなと。それが今の若い世代のトレンド、新しい時代の価値観であるならなおのこと。・・・そんな思いを強くしたレポートでした。
環境省の冊子『社会課題解決型ビジネス×環境「Eggs」〜コロンブスの卵を産む次世代の担い人〜』には、ビジネスによって社会課題の解決に向かおうとしている先駆的な発想や事業の事例が掲載されていて、勉強にもなりますし、刺激にもなります。入手は難しいかもですが、「くまのこしょてん(長野県飯田市元町5455-2裏山しいちゃん)」では読めますよ!と、宣伝してみる。