自分の為に散財せよ
お金を自分のために使うのが苦手です。欲しいものがあっても一度本当に必要かを考え、必要だ!と思ってもどれにしようか熟考してるうちに面倒になって買うに至りません。買うに至らないということはそんなに欲しくなかったんだな、と自己完結して、使うはずだったお金たちは銀行で長き眠りにつきます。
ここで欲しいって思ったんなら欲しいでいいやんけ、とならないのがなんとも性格を現しているなと思います。昔母から、「あんたは小さい頃欲しいものがあって駄々こねて泣いたりしない子だった」と聞いたことがあります。そんな筋金入りかよ。
こんな感じなのに、家計簿アプリで支出を把握しています。いやお前家計簿つけなくても結果分かってるやろ!と思われると思いますが、支出を厳格に管理するというよりかは、使ってなさすぎなので使ってもいいじゃろ!を把握するために利用していると感じです。なのに使いません。どういうつもりなの?
関係あるかは分かりませんが、RPGなどゲームの世界でもお金やアイテムが余ります。いつかこの強い武器を買って使おう…と思っている間にコツコツ戦いレベルが高くなり不要。このアイテムをピンチの時のために取っておこう…と思っていてもボス戦には念には念で挑むのでそもそもピンチにならない。多額の貯蓄と多数のレアアイテムを抱えたままキャラクターたちは大団円を迎えます。レアアイテムはせめてラスボス戦で使えよ。
昔から貯金が好き…というよりかは貯金ができる自分が好きでした。小学生の頃お年玉や、月数百円のお小遣いを貯めまくって金庫に見立てたお菓子の缶に保管していました。ある時額を数えたら10万円を優に超えていて、見るに見かねた母親が銀行口座を作ってくれました。その口座を今でも利用しています。
子供の頃から自分のためだけにお金を使うことに、なぜか罪悪感めいたものがあります。それによって誰が損するわけでもなく、何より自分自身も損をする訳ではないのに。そうやって何故か自分に何も買い与えないことで、誰かに許されているような感覚があったように思います。
昨年末多趣味な友人さんたちに、「お金の使い所とタイミングが適材適所で憧れる」という話をしました。でも彼らは、当たり前かもですが自分のように変に難しくは考えず、欲しいから買う、そして使いたいから使う、そしてそれをしたいから仕事を頑張れるというサイクルを繰り返しているだけなのです。それが最終的に自分自身の豊かさに繋がっている。
「本当は必要か?」なんて考える必要なんてことはない。もちろん若干高額なものなら一考するのもアリなんでしょうけど、たかだか数百円単位のもので深刻になるんじゃこの先なんも買えんやんけ自分。死ぬ時違った意味で何も残らんぞ?
仲の良い人たちに直々にこのことを感じさせてもらえたお陰で、よりダイレクトに自分の中で変化がありました。何よりそう語る彼らがとっても輝いて見えるのです。一つ一つの言葉や表情を、静かな感動を感じながら受け止める自分がいました。
これを機に、今年に入ってから意図的に自分の為に欲しいものを洗い出し、買いたいものを素直に買うようにしました(それでもまだ悪い癖が出る)。興味のあったものには手を伸ばす。その時感じている確かなワクワク感を信じる。そしてそれを手に取った時、満たされた何かを感じ取ったことを忘れない。そして仕事でしんどい時、この「満たされ感」をまた感じる為に頑張ることを意識する。
別の人からはこんなことも言われました。「自分で自分の欲しいものを抑制するって、誰のために人生生きてるんですか?」
まさしくその通りでございます。自分のために。お金の使い方に留まらず、これからのテーマかな?と思います。まずは小さなものでも自分にご褒美を与え、ちゃんと自分をこまめに豊かにしていかなければ。なんでもかんでもではなく、まず自分がすんなり購買欲を持てる分野から。
ということで普段よりも100円高いジャンクフードをテイクアウトしてきます。Uber使わんのって?配達料が勿体無いので…
前途多難です。