涼しくなって秋めいた日差しを浴びると無職だった時のことを思い出す。転職活動するまで半年、実際に転職するまで11ヶ月仕事無し状態だった。 9月最終営業日に最後の辞令をもらって退職して、職場の仲間に見送られたほぼ24時間後には今の家に入居しているという計画的犯行だった。職場に退職意思を告げてから4ヶ月、家族にも友人にも知られることなく言わば亡命を完遂した。飛行機に乗って津軽海峡を渡った時、もう戻れないんだなと他人事みたいに思いながらも実感がようやく湧いた。 入居した日の夜は購
東京に来てから初めてオンラインゲームを始めた。ここに来る前は基本ソロプレイのゲームしかやっておらず、そもそもオンラインでゲームするという概念が無かった。今ではオンラインでなければ楽しめなくなりつつある姿を過去の自分は想像できただろうか? こっちに来てすぐにもともとやっていたソフトのオンライン版がリリースされ、無職だったので当然のように没頭した。当時はそこでしか外界との関わりが無かった。と言っても誰かと話すわけでも無く、どこぞの誰かと短いクエストを協力してこなしていくだけ。「
オリンピックが終わった。20年前に女子バレーファンになってからずっと追い続けて、その流れで男子バレーも追い続けてきた。男女ともに自力で切符を獲得してのオリンピックは恐らく2008年の北京以来だったと思う。もう16年も前になるのか。 女子は正直五輪行きの切符を獲得するのが難しいかもしれないと不安だった。東京五輪の2年ほど前から雲行きが怪しいと思っていて、皮肉なことにその東京五輪本番でその予感が的中する形となった。最終戦の幕切れを見せつけられ、失礼も甚だしいが「もしかしたら女子
訃報に接することが増えてきた。数年前には祖母が、先月は叔母が、そして今週は前職の時にお世話になりまくった人がまだ若いのに亡くなった。 祖母と叔母に関しては、東京に来る前に何の予告もなく会いに行った。それは、これがきっと最後になると確信していたからだった。このせいもあってか、思っていたよりも後悔は少なかったように感じている。申し訳なさは残っているけれども。 というより、きっとピンと来ていない。自分のルーツをほぼすべて根絶やしにしてこっちに来て、物理的に大きく距離を取ったお陰
最後と思っていることが最後にならない。もう最後、これで最後、この先に何も作るもんかと思った最後にまた最後が待っている。脳内でなかったことにした最後が心臓に戻ってまた再生されて全身を巡って脳内に新しい最後を連れてくる。なくならない。 舞台で光を浴びようと思ったことなんかない。ただ自分はその舞台を一度でいいから観劇したかっただけ。たった一つその席を望んだだけ。それができるなら、壁も天井も晴天も要らない。でもいつまで経っても席は見つからないし上演も始まらない。始まらないなら雨を浴
3つ違いの兄がいる。兄弟仲が異常に良く、喧嘩した記憶は10数回くらいしかない。その代わり1回1回がやたらに重かった気がするが。でも自分が中学生になった以降はまともに喧嘩した記憶すら無い。近所の人も「仲の良い兄弟」と認識していた程。遊ぶときはいつも一緒。小学生の時は、兄が友達と遊ぶ時にも何故か一緒にいるくらいほぼ常にくっついていた。 兄は基本何でもできる人だった。勉強もピアノもスポーツも自分よりできて、でもそれを鼻にかけない性格、というか完全に3枚目陽キャだったので友人も多か
東京に来て6年経った。来た時に「早いとこ5年くらい経って欲しい」とTwitter(今となってはX)で呟いたのを覚えている。 あっという間だったように錯覚するけれども、1年1年何があったか辿って行くとやはり決してあっという間ではない。それまでの十数年よりも濃い時間だったなと思う。良くも悪くも。 ど田舎で生まれど田舎で育った。故郷のいいところは?と聞かれたら、自然、と答えるしかないくらい自然しかなかった。自分の部屋から見えるものは緑一色。でもそれに何の不満もなかった。 高校
性格柄とでも言うべきか、誰かに真相を告げることもなく、始まったとも終わったとも報せることもなく、存在していたことさえ知らしめることもなく、自分の記憶にだけ残っている感情と事実が無数にある。 それは紛れもなく自分自身の判断でそうしてきた訳だけど、これを自分の体内と脳内から飛び出させ可視化して、そこから何かを形作っていけたのならどれだけよかっただろうか?と、今もたまに思ってしまうことがある。その先に自分の望んだものが待っていなかったとしても。 誰にも告げないまま自分の中にだけ
今週末は久しぶりに、ちゃんと休めていると実感できた日だった。思い返すとここ2ヶ月くらい、休むとは?という土日を過ごしていた気がする。何が変わったからそうなったのかははっきり分からないけど、ただ心が疲弊していないことは感じる。いやここをはっきり分かりたいんですけども。 ここ2ヶ月は、好きなことしていても気が晴れず、逆に「こんなことしてていいんか?」という感覚だけが付き纏っていた。してていいに決まってますやん。でも思えないのです。他にやることがあるのでは?という謎の焦燥感。
腰をやらかしました。人生で初めてのギックリ腰です。 重いものを持っていた訳でもなく、ただ単に作業中に不自然な体勢で立ち上がった時に一撃を食らいました。最初は軽めにやらかしたと思ってたけど、1時間座って作業をして次に立ち上がる時にはまともに歩けなくなっていました。 疲れが溜まっていたのかなと思います。その日の朝出勤する時、妙に足の怠さを感じて、実際に平坦な道で何度か躓いたりしました。これが前兆だったのかも。 フィジカル面の疲れもだけど、最近はメンタルも疲弊していたかな、と思
昨年、前職の直属の上司だった人が逮捕された。詳しくは書けないが、ちゃっちい罪が明るみに出てそれでお縄になり、職を失ったらしい。限界集落のような場所だったので、テレビで報道されたとなると、もうその場所にはいられなくなったことは想像に容易い。ネットでフルネームを検索すると内容薄めのまとめサイトが出てきて少し驚いた。かつての同僚たちが対応に追われたのかと考えると、二重で胸が痛かった。 20代から大きな仕事に携わって、前例がない仕事をやり遂げて、若くして昇進した人だった。自分が部下
2月末まで、「昼飯」は最恐で最凶のラスボスだった。 ここ1年くらい、平日にだけ生じる、喉の違和感から来る食欲不信に悩まされていた。仕事がある時空腹を感じて昼休みに入っても、1階へ降りるエレベーターからもう喉がおかしい。詰まり感、と言えばいいだろうか。咳払いをしても唾を飲み込んでも、食道から何かが押し出されている感覚が消えない。 これが休日になるとなんともなくなる。平日に絶不調な訳なので、週末に食事や旅行の予定があると酷く焦ったものだが、結局全てそれらは杞憂に終わる。休日に
お金を自分のために使うのが苦手です。欲しいものがあっても一度本当に必要かを考え、必要だ!と思ってもどれにしようか熟考してるうちに面倒になって買うに至りません。買うに至らないということはそんなに欲しくなかったんだな、と自己完結して、使うはずだったお金たちは銀行で長き眠りにつきます。 ここで欲しいって思ったんなら欲しいでいいやんけ、とならないのがなんとも性格を現しているなと思います。昔母から、「あんたは小さい頃欲しいものがあって駄々こねて泣いたりしない子だった」と聞いたことがあ
身体が。 体がいつにも増して凝り固まっていたので、新しい整体に行ってきた。いつものところは肩を重点的にやってもらえるのだが、最早それどころではないのでは?と思ったので全身を施術してもらえるところに初めて行ってきたら、案の定ガタガタのガタ。 骨盤の歪みを見てもらったら「これは…」、耳の裏あたりのストレスのツボを抑えてもらったら「あらら…」、腕の状態を見てもらったら「うーむ…」と整体師さんを悉く悪い意味で唸らせてきた。ドヤア 整体は体の歪みを治してくれるものと勝手に思い込ん
旅行・外食・遊びなどなど、基本的に誰かと一緒じゃないと行動まで持っていけない癖がある。分かりやすく言うと、「自分のためだけにそんなことできねぇ」という感じ。ひとりでいる時間はそれなりに好きなんですけども。 この数か月、だいぶアクティブに活動していたと思う。週末は毎週のように知り合いとご飯にも行ったし、日帰り含めて旅行も何度か行った。デフォルト陰キャ気質なこれまでの人生を振り返っても、ここまで集中的に外に向かって走っていた時期はそうそう無い。去年の下半期は基本月一で遠出してい
12月から溺れるように泳ぎつつ、辛うじて水面から顔を出しているような日々だな、とふと思った。 眠る度、1日ずつ知らないうちに自分が体と心を修復して、起床と共にその瘡蓋を無意識に削ぎ落とそうする自分を、自分で止めているような感覚がある。 今必要なものは無心であると分かっているものの、無心を許さない材料がいくつも散らばっていて、無意識に手にとってしまう。好きなものに触れていても、触れなくなる瞬間のことを考えている。楽しいことをしていても、それが終わる瞬間のことを。いかんですね