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道行く人はなぜぶつかってこないのか -- 信頼と信任について (4/4)

第一回へ

今回は、もう一つの可能性を示して終わることにする。

「スカンディナヴィアのパラドクス」と呼ばれるものがある。人々の間で自然と行われている助け合い(社会的扶助)が公的に制度化されるとしよう。すると、この助け合いはもはや行政機関など公的機関の仕事になり、他人を気遣い助け合う必要はなくなるように思われる。したがって、人々の間の信頼や、連帯感は低下するだろう。ところが、世界的に見て最高水準の福祉制度が維持されているスカンディナヴィア諸国では、他国に比較して高いレベルでの人々の信頼関係が保たれている。

スカンディナヴィアのパラドクスが示している一つの可能性は、次のようなものだ。システムが強化されて、それまで必要とされていた他人に対する信頼が不要となり、システムに対する信任のみで十分だとなったとしても、そのことは他人に対する信頼を減らさない、ということだ。

もちろん、スカンディナヴィアのパラドクスにおける社会的扶助の話と、ここまで述べてきた秩序維持の話はパラレルではない点が多くある。けれども、システムが強化された近未来において、必ずしも信頼が不要となる世界だけを考える必要もないだろう。

日常の些細な場面でも必要とされるような信頼が不要になることで、私たちは本当に信頼が必要な場面で信頼を用いるようになるのかもしれない。システムがカバーしているような領域はシステムに対する信任のみでやっていく。システムがカバーできないような領域でこそ、私たちは信頼を用いるようになるかもしれない。

そんな稀なケースでしか用いられない信頼を、私たちは維持しておくことができるだろうか。スカンディナヴィアのパラドクスをどう説明するかは政治学・政治哲学の論点だ。そこにはシステムのカバーする範囲が拡大していく未来において、私たちが他人とどう向き合っていくかを考えるヒントがあるように思われる。


<発想のネタ元>
・梶谷懐、高口康太『幸福な監視国家・中国 』、NHK出版、2019。
・大屋雄裕『自由か、さもなくば幸福か?』、筑摩書房、2014。
・酒井泰斗、高史明「行動科学とその余波」、小山虎編『信頼を考える』、勁草書房、2018。
・西山真司「政治学における信頼研究」、前掲書。

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