なんで自分が本場になろうとしないのか…。
いきなりステーキが創業当初からずっと掲げている看板。
「腹ペコでいきなり食べるのが本場アメリカでの食べ方」という内容のもの。しかも「厚切りでレアが本場のステーキ」というものもある。
本場というのは便利な言葉です。
本場=本物というイメージがある。
日本の皆さん。
ステーキの本場アメリカでは薄切りの牛肉をちまちま焼いて食べるようなことはしないんですよ。
ステーキなんて日常食だから、ありがたがって食べたり、時間をかけたりするのは本場の食べ方とは違うんです…、って、それが立ってステーキを食べさせるという「いきなりステーキ」という業態のエクスキューズに使っていた。
特別安いわけでなく、特別おいしいわけではないけれど、確かに厚切りの肉をもりもり食べて満腹になるこのコンセプトが浸透していく際に、この「本場感」は少なからず役立った。
けれどこのコンセプトが一般的になっていくに従って、果たして本当に「本場の食べ方」ってこういう食べ方なんだろうか…、という疑問が出てくる。
だってこの業態は日本人が日本人のためにつくったモノであって、本当はアメリカ的じゃないんじゃないかと、そう言われる前になんとかしてやろうと彼らはニューヨークに店を作った。
そしたら呆気ないほどにすぐに失敗しちゃって結局、本場アメリカの食べ方はこれじゃないっていうことがバレちゃった。
確かにアメリカの人はステーキをよく食べる。
よく食べるけれど、じっくり時間をかけてたのしむ。
だって、レストランで食事をするということそのものがアメリカでは非日常で贅沢なコト。
贅沢な時間はなるべく長く続いた方がうれしいコト。
いきなり食べて、いきなり帰れなんて言われたら切なくなっちゃう。
それにアメリカの人は良く肉を焼く。
日本のミディアムがアメリカのレア。
ミディアムでなんてお願いすると芯までしっかり熱が入ってやってくる。だって肉は焼けることで味がでるから、生で食べるのは勿体無い。
このコンセプトを考えた人にとっての「本場アメリカ」はいったいどういうアメリカだったんだろう。
本場に行って経験しただけで本場を語ることは極めて危険。
本場に生まれて本場で育った人が本場をどう感じるのか…、それが本場を語るということなのでしょう。
ところで「いきなりステーキ」というこのコンセプト。
ボクは適正な規模と適正な立地に限って展開している限り、すばらしいコンセプトだと思うのですネ。
しかもジャパンオリジナル。
だから「本場アメリカ」ともう言わず、私達が創作したオリジナルなんですと高らかに謳ったほうがいいんじゃないかと思ったりする。
本場はアメリカにあるのじゃなくて、自分が本場。そう言えるってかっこいいのに…、もったいない。
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