評論家であったりコンサルタントという人たちって…
男同士で仲があまりにもいいと「ホモダチ」じゃないかって疑われる。
大勢で群れてるときにはどんなに親密でどんなに頻度が高くてもそう疑われることはないのに、ふたりきりで仲がいいと「あいつらあやしいんじゃないか」ってなっちゃう。
だからおじさんたちはいつも群れてる。
カミングアウトしてからボクは、仕事の関係で特定の人と仲良くなることを避けるようになりました。
だって仲良くなった人に迷惑が及ぶ可能性が大だから。
そうであることを知らない人にとっては、ボクはとても水臭い人のように見えただろうけど、しょうがない。
男同士が仲良くなりすぎることの厄介を描いた映画の中で、最高傑作とボクが思うのが昨日、最後の話題にした「さらば映画の友よ インディアンサマー」という日本映画。
1979年公開。
川谷拓三主演の哀愁に満ちた作品です。
これを見ながら三島由紀夫のとある言葉を思い浮かべた。
評論家という種族に対して、彼が抱いていたであろう日頃の鬱憤を晴らすような言葉で、これがこの上もなく意地悪な表現だった。
ゲイのものの見方や表現手法で、その本領を発揮するのが「意地悪であるとき」。
さすが三島由紀夫と思わせる、どんな意地悪なことを言ったのかから、まず今日は書いてみることといたしましょう。
評論家という◯◯◯のようなものである(笑)
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