
思い出のいもや
神保町に「いもや」あり。
1970年頃からずっと40年以上も名を轟かせたお店があった。
高級店じゃなかった。
大学街にあって、近隣の学校の学生たちやタクシーの運転手でにぎわった店。
つまり安くておいしく腹一杯になる店で、とんかつのいもやや天ぷらのいもや、天丼のいもやとそれぞれの店がせいぜい2、3品程度の品揃えという超専門店。
店の近所のオフィスで学生インターンとして通っていたときからよく行っていた。だから40年近くのおつきあい。
ランチ時には行列ができる人気の店で、けれど2018年に廃業しちゃった。
理由は募集をしても若い人がやってこず、このままどんなに頑張っても技術の伝承ができないから思い切ってという判断。繁盛していても事業が継続できないなんて、なんて残酷。
在りし日思って、約束果たせぬラブレターを書く。
ボクが好きだったのは天丼の店。
他にも天ぷら定食の「いもや」があったり、とんかつ定食の「いもや」があったり、神保町にはいもやを名乗るお店が数軒。
昔はもっと沢山あって、どこも学生やサラリーマンが気軽に食べることができる値段というのがありがたかった。
とは言え、もっと安く腹を満たすことができるチェーンストアが沢山できて、その何軒かは閉店をした。
ちょうど開店時間の直後で、白い暖簾がかけられていた。
その暖簾をかけてた人が馴染みの職人。
ボクとおそらくほぼ同年齢。見習いさんからはじまって天ぷらを揚げる職人になってそれから部下を育てて、今では部下のサポート役。ココで人生をはじめて熟して終える準備をしているコトに頭が下がる。
お店の中は昔と同じ。カウンターだけ。中に厨房。カウンターの周りに10人ほどが座れる大きさ。かつての店長、今の店長。それに下働きのおばさんがいて、みんなニコニコ助け合って仕事をしてる。
厨房の中はシンプルで、作業台にご飯釜。味噌汁をたくコンロの上の鍋に大きな天ぷら鍋と、ほぼそれだけですべての料理が出来上がる。天丼650円。ボクが20代の頃には450円だった。漬物100円で、今日のランチは750円とする。
キレイに磨き上げられて、表面スベスベ。手のひらに吸い付くようになめらかな白木のカウンターがやる気と誠意を表している。オキニイリ。
まずはお茶。
そして漬物がやってくる。
カブにキュウリに刻んだカブの葉っぱの3種。
お茶を飲みつつカリカリ、シャクシャク。
カウンターにあらかじめ今日のお代を用意しておく。1250円でお釣りがちょうど500円。
実は昔。ココで天丼を食べてすっかり満足し、意気揚々とお店をでたら、お店の人に追いかけられた。
追いかけてきたのがかつての店長。危うく食い逃げ犯になるとこだった。それからずっと先払い。心置きなく貪り食うつもりであります。
天丼がくる。
熱々ご飯。上にキレイに盛り付けられたエビ、キス、イカにかぼちゃに海苔の天ぷら。
タレをたっぷりかけまわし、しじみ汁と一緒に湯気をたっぷり上げる。ココの丼つゆ。天つゆのようにサラサラしていて、天ぷらすりぬけご飯を濡らす。出汁の甘さ以外にほとんど甘みを足さないスッキリとした味わいで、天ぷら油のコクが混じって風味もゆたか。
さっくり揚がった衣のふっくらおいしいコト。
さて天ぷらをどの順番に食べようか…、と、ちょっと迷ってまずはキス。しっとり、ふっくら。軽いクセが油とタレでふくよかな風味になってく。
それからかぼちゃ。甘くてしっとり。
イカのムチュンとたのしんで、そこにサービスのカウンターに置かれた漬物をのっけてハフっ。
パリポリとした食感たのしい顎のゴチソウ。
タレがたっぷり染み込んだ熱々ご飯のおいしいコト。海苔の天ぷらをクシュッと食べて、最後はやっぱりエビの天ぷら。ムチムチムチュンと歯切れてご飯と混じり合う。甘くておいしく、ウットリします。カリッと揚がった尻尾を食べて、お腹に蓋する。その幸せはもう思い出の中だけにあると思うとしみじみ切なくなります。しょうがない。